大阪石材社長ブログ

「AmazonのAIのアルゴリズムが主体になる情報社会の危うさ」

投稿日:2022年10月9日 更新日:

最近の若者に話を聞くと、情報収集はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)からするそうだ。Twitter、Instagram、Facebook、LINEなどだ。さらにYouTubeさえあれば十分と言うのであるが、あくまでも検索情報である。
自分の知りたいことを知るだけで、自分で考えなくなる傾向にある。これを思考の外部化という。

Amazonの検索エンジンは個人の購買情報を知っていて、「こんな商品が流行っていますよ」と利用者にプレゼンする。
するとますます、自分好みのモノばかり求めることになって、食事なら偏食化になっていることに気付かない。
言い換えると、情報化社会は非常に便利で、課題を知識の上で即解決してくれるが、一方でフェイクニュースもあり、Facebookなどのなりすましもいる。
リアルな世界では紹介者がいるとか、個人の所属団体に信用できるかというチェックがなされていた。
ところが、スマートフォンのような便利な道具ができて、個人が放送局になれる時代となったことで、加速度的に情報量も増えたが質のチェックがなされなくなった。
ここに危うさがある。
思考が外部化し自分で考えることをしなくてもいい状況になっているのが現状だ。

私たちの青春時代は「週刊ポスト」とか「週刊新潮」をよく読んだもので、最盛期には100万部も発行していた雑誌だが、今は全く読まなくなった。
家庭では新聞だけでなくスポーツ新聞も取っていたし、テレビやラジオも番組の棲み分けができていた。
私は社内の読書会と社外の読書会や勉強会と、20代後半から今日まで続けているものが色々あり、社外の読書会では毎回発表者が選んだ本の感想を聞き、こちらの意見も披露する。
自分では一生手に取ることがないだろう本に出くわすと自分の中の好奇心をくすぐられる。幅広く学べるのがお気に入りだ。
昭和の雑誌や新聞からの情報収集には時代が反映されていて、なんとなく全体像らしきものを感じながら活字に向き合う。
そんな想像力を楽しむのも一興だ。
今の世の中はDXとSDGsでグリーンに関心がある方向性を向いている。
結論的に自分が検索する課題ばかりを集めるのでなく、新聞にランダムに載っている記事から好奇心を湧かせて全体像を掴む。この両面があってこそ主体的な思考の質が高まる。
IT社会で情報ツールがたくさんあるからこそ、主体的判断基準を自ら創造するためにも活字を見直す重要な時期に来ていると感じる。

一方、この情報に対する姿勢と同じように、教育のやり方を再構築する必要があると思う。
「褒めて育てる」やり方で主体性を肯定するのは良いが、そこまで情報量と質、さらに体験がない時には「叱って育てる」という方法でこちらからの強制もいる。叱ると言っても愛情をもって叱ることが大切だ。これには発信側の人間力も問われ、受信者側の人間を信じる関係性が成立しないが、大変重要だと感じる。
このハイブリットな育成こそが情報化社会では最も求められる人物像に感じる。
それを一般化して法に託すのは良いが、何か事件が起こる度に細かく細分化されていくルールにとなりつつある。その前に、人間だからという仲間としての教育があってしかるべきだと感じている。
このまま個人主義的なことが優先され集団としての全体知を見過ごせば、民主主義も単なる衆愚主義的政治(暴民政治)となる。

みなさんは全体知大事にされて活字読んでいますか?

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