唯物から唯心でなく、唯物心(仏心)の時代へ

投稿日:2020年7月18日 更新日:

18世紀のイギリスにおける産業革命は、人類に豊かさをもたらしたことは事実だ。
モノを豊かに生産し、農耕のように天候に左右されず、狩りで獲物に出くわさない日もあることから解放されたのである。
当時イギリスの輸出品は毛織物であり、羊の囲い込みをすることで羊を飼うようになる。
それをさらに手工業から機械式の工場へ、大量に生産できる様式に発展させ、交易を盛んに行い、富を得たのである。

より多く効率よく生産するにはどうするかを考え技術革新が始まる。資本主義社会が完成されていくのである。
この社会では競争と信用が発展のキーワードである。言い換えると他社と相対的に対立しながら発展するという二元論的に考える思考だ。
もちろん商いは信用ということで約束を守ることによって継続的に商いが成立するものであるから、商品の品質も約束通りでなければなりません。

自分以外の他の同じことを商いする人や会社との闘いである。誰よりも早く技術革新を起こした者が勝利するのである。
現代も競争と信用がベースではあるが、成熟した資本主義ではお互いが助け合う相補的な互恵関係を樹立する方向へと進化しつつある。
信用とは単に時間や納期や商品の品質を守る事でなく、相手の欲する商品サービスを納得して満足させる価値と意味を充分理解し、
具現化することを実現させる目に見えない心の満足にまで行き届いた商品サービス接遇が要求される時代である。

ある意味では商品サービスが、機械で作った血の通わないモノでなく、手間暇はかかるが人間らしくなることだ。
それには唯物弁証法の対立物の統一、量質変化の法則、否定の否定の法則といった考え方でなく、質が量の変化を規定するということになる。
この法則はモノに対することでなく、商品サービスを生み出す人間の自己変革を第一義に考える時代になってきたということだ。
唯物論の反対の唯心論でなく、それを超えた唯物心論を必要とする。矛盾することを書いてるようだが、自己変革とは相対的に物事の外を分別するのでなく、
相補的で個々人が違う性質を持っていることを受け入れ互いが互恵関係、相補関係を生み出す哲学観である。

ITが発達し、AI・IoTが何でもこなす現代、ロボットに人間が支配されると考える人がいるが、事実は違う。逆であると確信する。
人間が産業革命以前のように全体を統合する人間としてマクロの世界観を自ら獲得し、互いが相補的に受け入れる互恵主義社会を具現化することになるだろう。

組織も縦の社会の分業でなく、フラットな横社会の対等な役割分担の仕組みに変化し、テレワークなどが取り入れられ、どこにいても自由に仕事も生活も楽しみ、
互いが人間として尊重しあうことになる。コロナウイルスは人類に大きな自己変革を促しているように感じるのは私だけだろうか?
組織における人材育成も、縦社会の権限による支配的な関係から対等な人間としても互いが認め合う人材育成になること間違いなしである。
人間を動かすのでなく、人間が自主的に動く環境を作る時代へのリーダーシップとなり、能力も重要だが個々人の人間力や度量大きさ、幅広い見識が問われる。

皆さんはコロナ後の社会がどう変化すると考えられますか?

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