今ここ自己

投稿日:2015年9月23日 更新日:

禅の教えでは「今ここ自己」の一念に生きることが妄想を離れ、
自己を離れ、執着から離れられると諭すのである。

「今ここ自己」になり、自己にこだわる事から離れようとすればするほど苦しくなり自分が出てくる。
なかなか、体得できない。

イメージとしては水の中に角砂糖(自己)を入れた状態で、
今に集中すれば水と砂糖が一体となり自己が消える。
言い換えると自己が開放されるのである。
自分に執着し、こだわった姿が角砂糖であり、
溶けて水と一体になった状態が「今ここ自己」と開放された自己である。

角砂糖の状態のとらわれた自分と水と一体化した解放された自分の違いは心の置き所である。

1.過去←(後悔)自己(不安) →未来(とらわれてる自分自己中)現実が苦しい、絶望、悲観、消極
2.過去→(反省)自己(志、夢)←未来(解放されてる自分他己中)現実を楽しむ、希望、楽観、積極

普通には凡人のわれわれは一番の心の置き方を無意識にするのである。
なぜなら、自分を中心に外を観察し、危険を避け自分を守る本能があるからだ。
しかし、このように本能に従って考え行動すると現実が苦しく、
未来に不安が起こり行動することができなくなるのである。

では、心の置き方をどうするべきかと言うことになる。
1番と2番の矢印を見てください。
全く逆になってることがお解かりでしょう。

ここに答えがあります。
実は生まれたままの本能を主人にするのでなく、
未来から自分を見つめ大きな志を持ち、世の中に役立つことをする。
過去の自分を振り返るときは後悔でなく、反省に変わるのである。

新しい志や夢を持った自分を作り、
蛇のように脱皮を繰り返し、
「志」を実現する変化していく自分が開放的な自由で自在な自己なのである。

しかし、「志」はまだ実現していない観念でしかなく、単なる「思い」に過ぎず、
困難や苦しいことに直面するとすぐ捨ててしまう弱いものだ。

「今ここ自己」一心に念じ「意志」を強く持たないと現実化できないものでもある。
まだ眼に見えない「志」と言う思いは、
よほど強固な(意識+志)=意志を持たないと折れてしまうものである。

先人が自己とは何かと求め、
また、苦しみから開放され、
現実の世を極楽の世界にするために研鑽し、
「今ここ自己」の深い意味は過去からの自己であり、
未来の自己であるという因果の法則を教えているのである。

皆さんはどんな輝かしい未来を夢み、志をたてていますか?

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