孔子と老子

投稿日:2012年9月22日 更新日:

今から2500年前の春秋・戦国時代は中国の諸子百家時代とも言われ、
孔子の儒教、老子の道教、墨子などいろんな学者と学派があった。

諸子百家の時代は戦乱の世の中である。
魯の国で孔子の学団が誕生し、次に双璧として墨子の学団ができた。
その後老子が登場するのである。

さて、三十を超えたころ奈良教育大名誉教授故寺尾勇先生と仏教美術の鑑賞に随行していた。
法隆寺の百済觀音がどこで、誰に彫られたかのなぞを解きに、
談山神社の奥の入谷に行って、夕陽を見ながら渡来人がノミを振るってる姿を想像した。

確か、奈良の中宮寺の弥勒菩薩を鑑賞に行った時、よく対比させる広隆寺の弥勒菩薩と、
「君はどちらが気に入ってるか?」と寺尾先生に質問された。
慈悲深く優しいお顔の表情は中宮寺の方で、きりっとして凛とした感じが広隆寺だ。
私は「広隆寺」と答えたのを覚えてる。
野心があり事業を起こしたばかりのときだったので、
「無為自然」な慈悲深い心境になかったからの返事だった。

孔子も老子も戦乱の社会状況には違いない、また求める最終の姿は「和」だ。
しかし、くっきり違いがある。
孔子は仁愛(利他行)をもって、義を重んじた行動し、
礼を重んじるという社会の倫理、秩序を教育によって形成するのである。
人間関係を構築する「倫理的な和」

ところが、老子はまったく違う。
「和」は宇宙と人間の和、すなわち「宇宙の和」のことだ。
だから、孔子を否定するようなことを語る。
「天道は親無し、常に善人を与す」=天にはえこひいきありません(私情)天の働きは善人の見方です。
「天地は仁ならず、万物をもって芻狗(すうく)となす」=天地は万物を育み完成に導く力あり、
                           しかし、そこには人間的感情はない。
芻狗=わらで作った犬の置物

この老子の奥深い自然と人間の和こそが超越した大和楽の実現の心構えだが、
若いときには統一する柱がほしかったのだろう。
自然そのものというつかみ所がないのはかえって不自由になると察したに違いない。

現代に必要なのはこのハイブリッドであろう。
虚心に私心をなくす老子のようなものの見方ができ、
孔子のように人間を秩序正しく、礼儀を持って行動する武士道のような態度が望まれる。

江戸時代までは技術的に後進国だし経済も単純だった。
現代は精神的に未熟な大人の後進国で経済的な技術は先進国だ。
(その産業界も韓国や中国に終われ、先行きが深刻化している)

江戸時代にこられた諸外国の人は日本ほど礼儀正しく、
助け合いが実現していた国民は見たことがないと文献には書かれている。

みなさんはすばらしい大人になるために何を学び、何を実践されてますか?

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