世相が変わった人間が変わったのではない

投稿日:2012年3月24日 更新日:

この言葉は坂口安吾の堕落論にある。
さて、今この日本は一体どうなっているのか?

明治の初期の日本は『恥』をかくのを嫌い、
自己を犠牲にして献身に尽くすことを美徳とし、
『お天とさん』や『仏さん』に誓える行動をするというチェック機能があった。
私の幼いころは学校の先生、警察も怖い存在だった。

それ以前は悪いことすれば地獄に落ちると地獄絵巻を見せられ心の奥の『良心』
に照らして親を大切にし、他人に迷惑をかけないようにと社会規範を教えた。

情報が全世界に均質に発進され、今までの階層的なヒエラルキーが無くなり、
生産者と消費者、情報発信者と受信者という直接的な関係が出き、
社会のたての階層が壊れ、上下の関係が圧縮し時間的に情報スピードが6倍の速さになった。

しかし、問題は判断力や、決断力といった責任を伴う場面になったとき、
若者に決定的に不足してるのは身体的な体験による直観の働きや、
臨機応変な対応力ではないだろうか?

私たちは幼いころモノがなく遊び道具も自分で作り、創意工夫してきた世代だ。
ところが24時間コンビニエンスがあり、いつでも手に入る生活環境で創意工夫は要らない。
自分の好みにあったものを選択する能力があれば生活するのに困らない。

草食系若者といわれるが、若者から創意工夫を奪ったのは、
大人の社会のつくりかたにあるのではないかと責任を感じるのは私だけだろうか?

管理教育の行き過ぎやセーフティーネットの構築は独創性を奪う結果になったのである。
まるでハウス栽培の「カイワレ」のようにか細く、
短時間で商品(大人)にひ弱な知識人間で依存心の強い自己中人間を育成してる気がする。
逞しく生命力のある露地物の「カイワレ」でなく水耕栽培の「カイワレ」をつくってきた。

だから、世相が変わっただけでなく人間が変わってしまったのだ。
同じ空気を吸って同じ言葉を話しているのに全く心が通じないことを感じる。

逆から考えると若者は、
『もっと自由に不足の中で自分なりに考え、
独創的に何かをつくり身体で覚えたい』と叫んでいるに違いない。

スーパーの野菜売り場に行くときゅうりが同じ太さで、同じ大きさのが並んでいて値段がついてる。
わたしにはこれが異様に思えてならない。
露地で栽培していたきゅうりは大きく曲がったのやら、でっかくなりすぎたのやらがある。
その事実が私の自然だ。
たぶん今の若者の自然はスーパーに並んでるきゅうりのサイズが同じなのが、
自然だと無意識に思ってるように感じる。

だからいつもスーパーに並んでるきゅうりのようでなければならないと自己規制し、
そのサイズになるために我慢の努力する。
他律的な自己形成で、失敗や弱音が許されないと考えてる気がしてならない。
実に窮屈な管理社会だ。だからこそ反発しかないのが大人なぶって虚無的になるか、
自由な仕事選択と勘違いして、派遣やパートを渡り歩く。

人間は不完全だ。『弱音は吐かず、弱みを見せる』これが人間らしい世の中のはずだ。
自分の理想とする行動の方向性を若者は間違えて努力してるように感じる。
そんな若者に私ができることは一緒になって同じ土俵で体験し話し合い、
心通わせる努力を惜しまないことだ。

みなさんは大人の責任どう感じますか?

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