現実とは理性を超えた理不尽こそ自然だ。

投稿日:2014年8月23日 更新日:

論理の世界で生きる我々にとって、
原因と結果がわからないとどうも不愉快になる。
つじつまが合わないからだ。

逆に考えるとつじつまが合うことが正しいと思い込んでいるだけであるに違いない。
自然のなかから生まれた人間が自然を理解し、よりよき環境を作って生活してきたが、
自然よりも人間の理性のほうが小さく自然の法則の一部を解明したに過ぎない。

ところが人間は理性至上主義を良しとして、
自然への畏敬を忘れてしまいがちだ。

だから、つじつまが合わないとおかしいと思い込んでしまう。
事実は理不尽なことのほうが当たり前と受け取るのが自然だ。
科学者は理不尽な出来事にたいして、
真摯に課題として向き合い仮説を立て実験をし法則を見つける。(謙虚な態度)

しかし、小保方さんのスタッフ細胞は『あってほしい』という願望が仮説の証明に、
思い込みとして入った可能性がある。
それは自分に都合のいい情報を集める結果になったかもしれないのである。

これから真実がわかるだろうが、人間が不完全な性質である故の出来事だ。
理研の組織を守ろうとする姿勢が見え隠れし、ついに自殺者を出した。

『許す』ことができない社会が住みやすい社会だろうか?
合理性だけの判断で犯人探しをするマスコミの姿勢にも疑問に思う。
安藤さんというニュースキャスターの人はマスコミとは『野次馬』だと言い放つ。
公正なジャッジをして事実を肯定も批判もし、左右に揺れない見識がマスコミであってほしい。

自然には直線がないように、合理性という理性の物差しだけで野次馬的に事実を計ると間違いを犯す。
曲線を受け入れ、理不尽が当たり前と受け止めれ,互いが許しあい助け合う社会が望まれる。
自分からそんな行動することからはじめたい。

皆さんはいかが思いますか?

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