当たり前に感謝する

投稿日:2014年2月26日 更新日:

車に乗って行きたいところに行くことは当たり前の時代だが、
わたしの幼いころはまだまだ車は高級品で普通に生活する人には買えなかった。

だから、360ccの軽自動車が大衆車として登場した。
今のように水冷でエンジンを冷やすのでなく、
空冷で風で冷やす方式だった。

夏の熱い夜だった。
親父が急に『生駒山に登って涼みに行こう』となって、
スバルの360ccの車に乗って出かけたが、
途中でエンジンがオーバーヒートし止まってしまった。
山の中腹で立ち往生してエンジンが冷えてかかるまで汗をかいて待つ羽目になった。

現代はそんな時代と比較すると車の性能も進化し道路もよくなり、
あちこちに整備工場や故障すれば助けてくれる仕組みもある。
私たちはいい時代に生きてると感謝する気持ちを持つのも至極当然だ。

しかし、そんな体験がなく、生まれたときから車が家に二台あった人にとっては、
故障や事故で車がなくなれば、パニックになる。

それは、何時間もかかって歩くか自転車を走らせ肉体的な苦痛を体験しないからだ。
思いどおりにいかなく腹が立つのだ。

人類は1700年の中ごろに蒸気機関という動力を手に入れ産業革命を起こし、
肉体的な苦痛はすべて機械に置き換える技術を発見してきた。
貧困からの脱却を果たし沢山の商品がつくられ流通し物質的な豊かさをもたらした。

現代は精神的な苦痛を取るために知識をいつでもだれでも手に入れられるIT革命の最中だ。
しかし、これはあくまでも知識の収集の豊かさだ。言い換えると物質だ。
人間の中味や意味といった質ではない。

これを使って現実に起こりくる課題を解決するには、
知識に意味や中味の人格を持った考える「知恵」がいる。
「知恵」は現実に起こってる課題を、
1.解決したいという意志
2.自分で解決方法を見つける思考力
3.人類の未来が開放させていく創造力〔志〕
4.考えた方法を証明する行動力 
この四つの主体性がいる。

親が育てるのが当たり前と考えてると、
ついつい思いどおりに行かないことが起こると親のせい〔他責〕にして、
「金持ちの家は小遣いが多い」「門限もなく自由だ」
自分の人生は自分で考え自分で実行して創るという当たり前のことが、
親や他人が環境を準備してくれ、
結果の環境に、イチャモンを付け受身で享受し、創造力や主体性をなくしてしまうことになる。
〔私の思春期にはこんな考え方してたのが事実だ。今は違うが少しは進化した。〕

社会が『安全、安心』なのは、
個々の人が当たり前に感謝する人格〔徳〕を備えている社会をコツコツ創ってきたからだ。
「ローマは一日にしてならず」という言葉があるように、
『安全、安心』は誰かから与えられるものでなく、自ら創る努力をし続けることだ。
世界が平和であるには
世界の人々が当たり前に感謝する人格をつくることを学ぶ伝えることに違いない。

みなさんは『安全、安心』あるものか、創るものかいかが考えられますか?

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