「見えざる手」は共感する能力

投稿日:2020年1月28日 更新日:

経済は貧しい人を救って世の中を整えるという意味と短絡的に考えている。
ただ富を未曾有に稼ぎ出し、競争と信用を繰り返すのでなく、
人間としての信頼と共感(利他)をベースにすることが本来である。
アダム・スミスは世界が重商主義という保護貿易政策で、
自国の利益を優先していたことには大変批判的だった。
私たちが知ってる分業論は1776年の「国富論」に書かれているが、
生産性を上げて富を増大することの方法論を賛美する論調として学んだ。

しかし、彼が考えたのは野放図に富の獲得を目指せば、
社会の秩序が乱れると、富への欲望だけでなく人間にあるもう一つの本性を使い、
その能力を使えば富を得ながら富にとらわれず、心の平静が保てることができると書かれている。
(道徳感情論)1759年国富論より前の論文。
道徳感情論を現代に甦らせ「共感資本主義」を提唱し、
実際に「思想から実践」にと理科系、文科系の壁を越えて、
共生社会を構想するシンクタンク、社会ソリューションイニシアティブを立ち上げられたのは、
大阪大学、堂目 卓生先生だ。

スミスの「見えざる手」は貧困をなくすために分業し生産性を上げて、
富を利己的に増大してもいいと言ってるのではない。
損得勘定とは別の能力で人間が自然に備わってるのは利他行(分かち合う)することだ。
家族や目の前に飢えた人がいたら分け与えるといった行動だ。
自分を制御して、自由な経済活動をしても富はみんなにいきわたるというわけだ。
「見えざる手」とは公平な観察者(言い換えると分かち合う良識)は貪欲を抑制することだ。

オーストラリアの山火事、世界各地で起こる異常気象による災害、
地震などは人間が富を求めすぎブレーキが利かない状態で地球の循環を無視してきた結果だ。
今こそ、持続可能な社会の在り方が議論され実践される好機だと考える。

皆さんは「見えざる手」の本当に意味ご存じでしたか?

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