「社会変革と自己変革」することで人間の解放が実現

投稿日:2020年5月8日 更新日:

社会には生活をする経済的な側面からの変化は効率と効果をどう人間と機械と調和させるかの課題を解決するのが社会変革だ。
現代の機械と言えばIT(情報技術)である。リモート社会と言われてる昨今では同時に東京一極集中のように集まらなくても、
ズームというアプリで遠方にいる人とも多人数で会議ができる。AI(人工頭脳)によって、型の決まった仕事は機械がやってくれる。
通勤や通学も従来のように決まった時間に全員が行動するのでなく、PCさえあれば自宅で仕事もできるので、時間をずらすことができる。
トヨタはリモートシティーを構想に無人の自動運転のバスが循環する街を実現しようとしてる。車も移動手段でなく走るスマホに変身する。

現実がどんどん目指してるのは分散化の方向で、効率効果を上げようというのである。社会がどんどん変革しより生産性を上げるようになっていく。
ところが、一方で人間が阻害されて機械の奴隷になり、人との関係も深く絡み哲学談義して、人格の形成をするのでなく、ラインやメルカリのように
いつでも自分本位で行動する情報発信と受信に変化する。それは簡単で面倒くさくなく自分本位で受発信できる手軽さがある。
だから、人間の精神の発達も手軽で軽薄になる方向に無意識に誘導されているのである。アマゾンの提案に従い自分の好きなものを買ってしまうのだ。

社会が目指してるのは監視社会でなく、1.自由主義(おしゃべりで言いたい放題)
強権の全体主義社会でなく、2.民主主義(判断する自分にとって得か損か善か悪か)
経済的な意味ではこれでいいのかもしれませんが、コロナ騒ぎの今は各国が保護主義になってしまい自由や民主主義が危うくなってきてるように思える。

経済社会の変化面でなく、文化面からの生活の中身の在り方や精神の発達での人間の品格としての人類種の保存していくための仕事や人生に向き合う意味と価値観
についての発展は経済的な唯物的な影響だけでは偏った人間になっていくことは間違いない。この社会で生活すると拝金主義的な価値を無意識に良しとするようになる。

私の恩師は60年も前から、理性には二つあると主張されている。呼吸のように真逆になっているが、収斂理性(帰納法)虫眼鏡と発散理性(演繹法)電熱器である。
収斂理性は利己的方向性の価値を持っていて、発散理性は利他的方向性の価値を持ってる。
人間にとっては経済的なことは生きていくには第一義だから、どうしても収斂理性の価値観が無意識に正しいと思い込んでいるのである。
ところがこれは外界を相対的に分析する知性であるから、コミュニケーションには対立的にならざるを得ないのである。
世界の議会運営は二院制になってるのは対立を認め戦わしてお互いの合意点を現実的に探すやり方で弁証法でいう正反合だ。

さて、自己変革の必要性は収斂理性の利己的価値で考えるところから、真逆の発散理性で利他的価値で考える創造力と愛がなければならない。
仏教的に言うと「自利利他」は表裏一体である。二宮尊徳流の言うと「利他のない利己は罪悪 利己のない利他はたわごと」なのだ。
今私たちに問われてるのは利他行であり、他者を肯定する「愛」「慈悲」が求められる。人類と自然が調和するには自己変革が必要だ。
このことが実現される遠い未来は人間の解放が実現される世紀になるに違いない。

皆さんは発散性理性ご存じですか?

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