市場原理を説いた石田梅岩

投稿日:2020年6月10日 更新日:

江戸時代といえば士農工商という身分さがあり、なかでも商人は「骨を折らず座ったまま利益を獲得してる」といったのは、
八代将軍吉宗に仕えた儒学者の荻生徂徠である。「ただ手数料を取るだけ」と痛烈に批判し市場原理を知らなかった。

そこに出てきたのは石田梅岩(石門心学)である。仏教、儒教、神道を学び43才で京都の車屋町で塾を開いた。
アダムスミス(1776年)に国富論で市場原理を30年前に「商人の利益は相場に応じて、適正価格で販売してる。
だから商人は卑しい存在でなく社会に必要なのだと訴えた」今でいうと近代経済学の需要供給関係によって価格が決まるというのである。

戦後間もない幼いころ商売は原価に利益を上乗せしてるような罪悪感をなんとなく感じていたことを思い出し、大人になってマルクスの資本論を読んだ。
支払労働価値説や、投下労働価値などがあって原価がはじき出される理論的な根拠もわかってきた。そこで重要なのは付加価値を生むことだ。

さて、日本人の文化の素晴らしいのは「何事も分けて考えない文化である」例えば「扇子」と「うちわ」の違いです。
移動したり荷物がかさばらないようにするには「うちわ」は大きすぎる。そこで折りたたむ扇子にするのである。縮みの文化といってもいいですね。

欧米は何でもセパレートにする方が効率いいと考えている。昔の道は双方向でセンターラインはなかったが、最近は一方通行が増えているし、
筋肉が落ちたらアスレチッククラブで筋肉もりもりを目的に通う、日本人は足腰鍛えるには廊下を雑巾がけして掃除すると、
中腰で筋肉も鍛えられるが、掃除もできるという一挙両得を編み出すのである。
万事がこんな考えがふんだんに組み込まれた日常生活がマンションになって細切れの個室になってコミュニケーションが取れなく孤独化して、
コミュニケーションが取れない若者が多くなってるのも現実だ。

梅岩は「商人の利は武士の禄と同じ」正当な手数料だと訴えたのである。当然商人は自信を得たのは言うまでもない。
当時は大阪は各藩の米蔵があり、伊勢はお伊勢参り、近江は中山道と東海道から京都への接点で商人が栄えた。

話を江戸時代の戻すと、今の大丸のルーツである大文字屋の創業者下村彦衛門が残した家訓は「先義而後利者栄」=意味は義を優先し、
利を後回しにするものは栄える。キッコーマンのルーツの茂木家は「徳義は本なり、財は末なり、本末を忘するるなかれ」道徳上の義務をなすことが本文であり、
財産を築くことは末節の些事に過ぎない、この本末を忘れてはならない。

このように、商人には商人道というものを身につけ、利他行優先で「三方よし」を実現し反映していったのだ。
グローバル化の現代は株主資本主義も曲がり角にきて、企業は自らの利益追求してるだけでなく、CSR(あらゆるステークホルダーに配慮する)
に配慮し、公益資本主義が主張されてる。特に環境に配慮も重要であり、コンプライアンスとしてガバメントがしっかりする倫理感も要求されてる。

日本の江戸時代にすでにあったものがグローバル化によって、海外から入ってきてるように感じるのは私だけだろうか?
戦後、欧米化してきたが、最近欧米から日本の良さが伝えられる時代となってきたことを喜んでいる。
ドラッカーは社会学といってるが経営を考える基本を「人間とは何か」をテーマにし、江戸商人の研究からも学んでいた。

皆さんは歴史から何を学び現代に生かしますか?

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