「許す」と言うこと

投稿日:2012年2月24日 更新日:

「許す」と言うこと
誰にでも、一生許せない人や許せない環境、出来事がある。
自然を相手に許せないと言っても仕方ない。
また人災だと言って、社会という複数の人を相手にする場合もあるが、
煎じ詰めればある特定の人だ。

6年前になるが、大手術をすることになり死と向き合わなければならなくなった。
そのとき思ったのは、憎んだ人に許してもらい、関係を修復したいと思った。

それは「鏡の法則」と言う本を読んだからだ。
一番目には『母』だ。
30年来、口をきいてくれない。
原因の一番は、気に入らない嫁をもらったことだ。

次に共に事業で戦った、初期の心を許した親友だ。
彼にも『許し』の手紙を書いた。
その親友の友人が機会を作り20年ぶりに再開することになった。
私は少し緊張していたが、数時間たったとき親友の彼が泣き出した。
ビックリした。
私には何の交換条件もなく、自分から心を閉ざした未熟さを許してもらいたかっただけだ。

その時気づいた。
相手を許してるのでなく、自分が解き放たれ自由になり解放されていることを!!

先日ある人から教えてもらった。
『許せない』とは、
自分の心の中に刑務所を造ってもってるようなものだ。
時々、囚人〔許せないこと〕が脱走しないように管理するために、
過去を思い出して愚痴を言って人間関係も自分の健康もおかしくなるようなエネルギーを使うことだ。

まさに、この何十年間時々思い出し、また腹がたち二度と顔も見たくないと叫んでいた。
心は自分が正しい、相手が悪いとコチコチに固めていた。
母に対しては禁固刑30年、親友に対しては禁固刑20年だ。苦しかった。
こんな心の働きにエネルギーを使っていて、前向きな挑戦のエネルギーを自分で減らしてるのだ。
振り返ってみれば、ばかばかしくて愚かだ。

今は『母』とも『親友』とも、以前のように心通わせ話せる状態になった。

『許す』と言うことは、
自分の中にある『愚か』を認め自分を許すことだ。
私は自分の中の愚かさを隠し、ただ相手を許さないと自分の心に刑務所を作り、自分で苦しんだだけだ。
今は心の中に刑務所はない。
愚かな自分を『愚か』と素直に言え、『愚か』に甘えず、
自然からも人からも、ものからも出来事からも学び、
すこしでも進化成長する自分を楽しみにするようになった。

みなさんは自分の心の中に刑務所造っていませんか?

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