論語を基準に

投稿日:2012年4月4日 更新日:

論語を基準に
何か判断したり決断しなければならないときがある。
自分の責任があるので、判断や決断には勇気がいる。

論語に「子曰く、君子はこれを己に求め、小人はこれを人に求む」

意味=普通の人は、何か問題があると他人のせいにするが、
君子はその選択の責任を自分にあるとする。

孔子が言う「思」、思考することは集団的行為だというのだ。

何か問題にぶつかると「どうしようどうしよう」と悩むのは脳の構造だという。
これは良いのだが、次のアクションは、一人でうだうだ考えているよりは、
何人かの意見を聞いたり、本を読んだりし他の人の意見と照らし合わせると、
解決しやすいのだ。

思考は集団行為だ。
次に判断は「私意」でなく「天意」ですることだ。
誰に見られても聞かれてもよいという基準、私心がないことが重要だ。
そして決断だ。
これは個人的なことだから自分で責任を背負うことになる。

われわれ凡人は自分を守ろうというシステムが身体に組み込まれている。
無意識に放って置くと、
1)思考=独善に陥る(自己本位)
2)判断の基準=私利私欲が基準になる
3)決断=他人がやらせたと責任逃れする

学ぶことによって意識的に有意注意すると、
1)思考=衆知を集め最善を導き出す
2)判断の基準=お天とさん、良心、オープンマインド
3)決断=自己責任で是は是非は非と認める

自分の私利私欲が基準で判断するのは大人の社会人としては恥ずかしい。
もっと自分の心の構えを磨くことだと再確認した。

みなさんは何を基準に判断、決断しておられますか?

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