知育・体育・徳育の三方良しの人間形成

投稿日:2012年6月3日 更新日:

知育・体育・徳育の三方良しの人間形成
人間の三条件として「心・技・体」「知・情・意」と言う表現がされる。
バランスの取れたリーダー像として語られるがリーダーだけの目指すものでもない。

誰もが普通に立ち居振る舞いが出来たら、
その集団は直ちにブータンのようなGHP〔総幸福生産国〕になるに違いない。

1〕徳育→心→情〔思いやり・愛情・利他行〕本学=与える発散理性
2〕知育→技→知〔脳で考える〕      末学=奪う集中して自分のものにする収斂理性
3〕体育→体→意〔意志・行動〕     実践学=志や目標に自分を律する実行力

このトライアングルをバランスよく育てるのが理想的自分づくりだ。
その中で一番大事なのは「徳育」だ。
現代の教育に全く欠けてるのがこの学問だ。
「徳」=仁の心〔思いやり・優しさ〕
    孝の心〔親を大切にする〕
    信の心〔信じあう〕
    義の心〔正しさを貫く〕
    
これを「礼」の心で実践する。
木で言えば根っ子で目には見えません。

しかしこの「徳」はみんなのために役に立つ人物になりたいとか、
今以上に向上したい、素敵な人物になりたいと思うことが、
「徳」だと安岡正篤先生おっしゃられる。

そして、さらに続けて「徳性があれば知能や技芸は必ず出来るようになる」と断言される。
決して「知識」や「技芸」を否定するものではない。
最澄さんの言葉だったと思うが、

「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」
〔仏道を修行する中に結果として衣食はついてくるが、衣食の中には仏道はない〕

これと同じことで、「徳」のない「知識」は人間を創らない。
「徳」があっての「知識」である。

ところが昨今の子供に「心はどこにある?」と聞くと「脳だ」と答える。
「なぜ脳が心か?」と問い返すと「身体はすべて脳の指令で動くから」と答える。
「知識」教育が進んで、身体全体で感じ、そこから沸いて出る熱い気持ちからほとばしる「情熱的思い」
と言う心が一番で、二番に知、考えを整理して計画する三番は行動力だ。
この順番が解らないのが悲しい。

さらに、「数字が一番論理的で嘘つかないから科学的」という。
すべて理屈で受け止め、理屈で返すことが正しく科学的と考えている
人間らしい感受性があるのだろうか?
「喜怒哀楽」がないロボット化した機械のような人間と思わざるを得ない。

私は「知育」偏重の教育で、「徳育」を誰も教えなくなったからだと察する。

今朝ミーティングの中で以下の話しがあった。

上司「君、机のヨコにゴミが落ちてるよ」というと、
部下、さっと立って「どうぞ、ゴミ拾ってください」とイスを引いて上司に取らせる。
〔これが親切と思ってる、個人の事は個人、上下は対等だからと考え、上下の秩序がない〕

これでは親に感謝どころではない。
逆に「生んでくれといったわけでない」と言う子供の精神状態だ。

上司の期待は「気づきませんでした。自分が処分します」と俊敏に行動するを期待したのだろう。

みなさんはどんな人間を目指す事が幸福を実現させる人物だと考えられますか?

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