日本人は無宗教ではない

投稿日:2012年8月4日 更新日:

日本人は無宗教ではない
日常何の疑問もなく習慣化してるのは、夏なら祇園祭や、
各地域ではだんじりや御神輿を出して祝う行事が、今も連綿と続けられてる。
またお盆の季節になると『先祖供養』のお墓参りをする習慣がある。

日本文化の原点が『稲作』を通じて築かれた証だ。
稲の『イ』は命のイ、『ネ』は根っ子(根本)の意味に当時の人は捕らえ、
万物が生成発展するには自然と先祖に感謝・祈ることで宇宙の意志(サムシンググレート)の助けを信じた。
1)自然崇拝(恵みの根拠)=稲が太陽の光と地の栄養で育ち恵みを与えてくれることを祈る、感謝する。
2)先祖崇拝(自己の根拠)=先祖のお陰で今日の自分があることに感謝と敬虔な祈りの心を創った。

これは神道だ。随神の道(かんながらのみち)といって、
人倫の道、人の道を基礎に形成されたのが日本人の心だ。

これを大和魂という。
本居宣長は『大和心を人問はば 朝日に匂う 山桜花』
意味=日本人の心は、山の中に、目立ちはしないが輝く朝日に照らされて、
   ほのかな香りを漂わせながら、凛と咲いてるいる山桜の花のようなもの。

この大和心はその後外来文化である、漢字、仏教、儒教、道教、朱子学、西欧文化を吸収昇華し、日本独自の文化を生み出した。漢字は仮名文化を仏教は日常規範にまで浸透し大衆化された。

明治以前は『和魂漢才』といわれっ明治以降は『和魂洋才』と時代によって変化したが根本は変わらない。
一神教にしろ多神教にしろ宗教には経典があるが、
日本独自の神道には教典はない。
ただ生活規範の中に鎮守の森を作り祭りやを通じて倫理規範が出来てきたのだ。

だから、八百万の神を信じ、祈り、五穀豊穣の祭りで感謝を表すのだ。
ところが、戦後生活は一変し、パン食になり、
アメリカ風の個別に仕切ったマンションに住居が変わり、
村意識で団結が強かった自治が崩れ、
村の行事によってつながっていた心と心がばらばらになっているのが現状だ。

もう一度、無意識に育んできた、
自然に対する畏敬の念と先祖に対する感謝の念を、具体的な日常生活と結ぶ文化の再構築がいる。

決して日本人は無宗教ではない。心の奥深くで自然や先祖に畏敬と感謝の祈るすばらしい民だと感じる。

みなさんはホントに無宗教ですか?

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