勤・倹・譲(二宮尊徳)

投稿日:2015年9月3日 更新日:

勤・倹・譲(二宮尊徳)
夜話俗43に、『わが道は勤倹譲の三つにあり。
勤とは衣食住になるべき物品を産出するにあり。
倹とは生み出したる物品を費やさざるを云う。
譲とはこの三つを他に及ぼすを云う。
さて譲は種々あり。
今年のものを来年のために貯えうるも則ち譲なり。
其れより子孫に譲ると、親戚朋友に譲ると、郷里に譲ると、
国家に譲るなり。其の身その身の分限に依って勤め行うべし。』

尊徳さんは衣食住のためにモノを生産しろというのである。
今で言えば一生懸命働けということだ、
生きていくために勤勉にこつこつ働くことだ。
次に働いて得た生産物を倹約しろというのである。
今で言えば給与をもらってみんな使っていたらダメであるから
倹約することに努力しろというのだ。

当たり前だ。
ではいくらぐらい消費にまわせばいいのか?
「分度」と言って説明してる。

『それ分限をまもらざれば、千万石といえども不足なり。
一度過分の誤りを悟りて分度を守らば、余裕自ずから有りて、
人を救うに余りあらん。
百石のものは五十石に屈んで、五十石の余裕を譲り。
千石のものは五百石に屈んで、五百石の余裕を譲る。これを中庸というべし。』

分度とは生産したものの半分で自分の消費(衣食住)にあて半分を推譲と言って、
来年のために蓄えたり、親族、地域のため、国家のために譲ると経済は生成発展し
循環するというのである。

当たり前のコンコンチキの論理である。

実際にこのような生活態度ができるかどうか問われる。
ここで重要なのは一生懸命働き生産することはできるが、
分度により半分で衣食住をまかなう倹約ができるかである。

仮に倹約はできても、子孫や親族、地域、国家に推譲できるかである。

尊徳さんは『奪うに益なく、譲るに益あり
譲るに益あり、奪うに益なし』
人間が他人のために尽くすことに努めず、
自分のために取ることのみを努めるのは人間の道でなく、
禽獣の道であり、奪うことの結果は必ずうまく行かないと断言してる。

古今東西、幸福を実現し、発展成長するには近道はなく,
こつこつマラソンのように歩むしかないようだ。

皆さんは尊徳さんの教え実行され成果を出されてますか?

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