アクティブシチズン〔行動的国民〕

投稿日:2013年7月14日 更新日:

アクティブシチズン〔行動的国民〕
キャロライン・ケネディーが次期駐日大使候補であることを伝える記事が新聞に載った。
1963年11月に暗殺されたケネディー大統領の長女で当時5歳だった。
28歳で結婚し三児の母で、コロンビア法科大学院を出て弁護士資格を取得し、
ケネディー図書館の館長や慈善活動を複数やっている才女だ。

この記事で思い出したのがケネディー大統領が1961年1月20日に行った、
就任演説の『アクティブシチズン』だ。

『世界の皆さん、アメリカがあなたに何をしてくれるかでなく、
 人類のために共になにが出来るか考えてほしい。
 われわれがあなたの求めているのと同じ高いレベルの強さと犠牲を
 われわれにも要求してください』

国家のリーダーとして国家責任をも明言する力強さとともに、
国民として消極的な義務感でなく、
積極的に国家を良くすることに参加して行動してほしい、というメッセージだ。

国家のできかた・形は世界中違うが、
しかし、その奥にある「みんなの社会をみんなでよくしていこう」
という考えは世界共通だ。
ラガーの言葉に『一人はみんなのために、みんなは一人のために』
というスポーツマンシップにも見られる。
貧困で奪い合い、暴力や戦争で争いあう次元の低いコミニュケーションから、
対話と協調の与え合う大人の人間としてのコミニュケーションへ
飛躍しなければならない、と言ってる。

54年前の冷戦時代の演説だ。
当時日本では60年代の日米安保闘争が頻繁に起こっていて、
70年代には東大の安田講堂が占拠されるまでに発展していった。
目を世界に転じれば、今でもトルコやエジプトでは内戦が起こっているのが現状だ。

民主的で自由な社会を求めて人類が戦争をするのは悲しいことだ。
その根本は『奪い合う心』から『与え合う心』への転換であり、
競争相手が相対的に目の前にいる人でなく、
自分の中にある未熟で磨かれてない人(自分)であるに違いない。

それを実現するにはアクティブシチズンとして国家のために何ができるかを積極的に考え、
実行する公益の精神を熟成させる必要がある。

日本の公益の精神は『世間体が悪い』とか『恥ずかしい』といった消極的な意味だ。
最近の価値観は、地域社会の崩壊とともに日本人的な公益精神が薄れ
自我意識の強い私益を優先する傾向を強く感じる。
『恥』を知り、『世間体』を気にする日本人の精神を持つ人にとっては住みにくい世の中だ。

世界人として自分を位置づけると、
行動的国民に自分を変化させないと世界の大きな流れを感じ取れなくなる。

皆さんは矛盾感じてませんか?

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