心の主人になれ〔涅槃経に見る〕

投稿日:2013年5月16日 更新日:

心の主人になれ〔涅槃経に見る〕
心とはなんでしょう。
英語でいうと、
1、マインド(意識)脳
2、ハート〔人間愛〕胸
3、ソウル〔魂〕  胆

われわれの心はこの三つで出来ているのであるが、
この三つのバランスが大事だが、意識のマインドだけが心だと思い込んでいる
向きのある人がいる。
この人は人間を中心に意識してることが心だと思ってるのだ。
人間は自然の中に生きるから自然の法則と合致しないと生きれない。
自然の法則をスピリット〔霊〕=宇宙の法則・サムシンググレイトなどという。

霊というと何か得体が解らないように思うのが一般的だ。
幽霊も同じように得体が知れない怖いものと思い込んでるが
実は違う。

注、幽霊=こころの状態を現した姿で、後ろ髪を引いてるのは過去のことに執着し、
     手が前にだらりと下向いてるのは未来に対する不安〔自分でつかむのが怖い姿〕
     足がないのは今の自分の姿を直視せず、事実の自分がわからないという表現だ。

さて話は横に逸れたが、心については後日詳しく書く。

御釈迦さんの最後に語られた涅槃経には、

弟子が御釈迦さん亡き後、何を頼りに生きたら良いのか?と質問したら、
御釈迦さんは「自灯明,法灯明」
この二つに頼れと答えられた。

最後の説法の訳文を紹介する。

「弟子たちよ、自らの灯火とし、自らをよりどころとせよ、
 他人を頼りとしてはならない。
 この法をよりどころとせよ、
 他をよりどころとしてはならない。
 教えの要は心を修めることにある。
 だから、欲を抑えて己に克つ事に勤めなければならない。
 身を正し、心を正し、言葉をまことあるものにしなければならない。
 貪ることをやめ、怒りをなくし、悪を遠ざけ、
 常に無常を忘れてはならない。
 もし心が邪悪に引かれ、欲にとらわれようとするなら、
 これを抑えねばならない。心に従わず、心の主となれ。
 心は人を仏にし、また、畜生にもする。
 迷って鬼となり、悟って仏となのもみな、
 この心のしわざである。
 だから、よく心を正しくし、道に外れないように勤めるがいい。」

人間が自分で心と思ってるのは、本能からくる利己心だ。
最初に思いつく答えはみんな自分を正当化し、自分を守るための理屈と言葉だ。
二番目にでてくる心こそ欲を離れた心だ。
この心を引き出せば心の主人になると言うことだ。
〔知ってるが実行できてないのが現実の私だ〕

こんな言葉思い出した。

「心こそ 心迷わす心なり 心に心 許すまじき」

禅では心の主人になることを、

「随所に主なれば至るところ真なり」ともいってる。

皆さんは心に従ってますか、あるいは心の主人になって振り回してますか?

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