「我執」と「法執」に思う

投稿日:2020年12月6日 更新日:

今自分があるのは良いことも悪いこともすべて自分が行動してきた結果である。
「良い」と思う人は、今までの行動が良かった。
「悪い」と思う人は、今までの行動が良くなかった。
それだけだ。

人は結果を見て結果だけを良い方向にしたがる。
しかし、結果はコントロールできない。

その原因を変えなければ結果は変わらない。

仕事・人生においては、
良い行動をする(因)、素晴らしい人や仕事に出会い関係性を良くする(縁)、そしたら成果(結果)があり関係性が継続する。

誰でも知っていることなのですが実行できないのですね。
それは自分の中の「損得」「好き嫌い」の感情が働くのと、未知の体験をする時に起こる「恐怖」や「不安」という意識の壁ができるからである。

この二つを乗り越える方法がある。
自分自身の心と向き合い自問自答する。
「損得」「好き嫌い」を一時的に横に置いて、事実をしっかり見据える。(如実知見)己のこだわる「我執」を煩悩障の壁を超える。

もう一つは正智を学ぶのを妨げる「法執」という自分なりに重きを置いている価値観やジンクス、やり方であり、これが「恐怖」「不安」を産み出し、行動にストップをかける所知障の壁を超える。すばらしい未来を強く思い勇気と情熱をもって行動する。

因=汗水たらして田を耕し、縁=コメの苗を植え、太陽の光と水を得て雑草をとる行動をし、果=秋になって収穫をする。
ところが人間の思い通りにはいかないのは自然の気候変動で台風が来たり、自分が怪我して働けないとかによっていい結果が取れないこともある。
仏教では善因善果というって因縁和合して自然と実りゆくことを諭す。

人間に意識があるばかりに「我執」「法執」にとらわれ結果を良くしようと自然な法則とは逆のことをしていることに気づかない。
仏教では自己の我執の生死を離れ、正智を得て、自己の利益でなく方便として他者利益をもたらす慈悲を解かれている。
注)随自意=仏自身の意のままに従う、随他意=他人に従う(方便)
実に人間はあまのじゃくにできているんですね、今楽しいよって言えますか?
チャップリンは人生を自分の側から言えば悲劇、他人から見ると喜劇という。

皆さんはいま喜劇を楽しんでいますか?

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