ありのままにモノを見る(如実知見)

投稿日:2019年5月7日 更新日:

ありのままにモノを見る事は実に厄介だ。
どうしても自分の思いが入ってしまったり、こうありたいという願望が入る、それに、こっちが好きだとか、自分の都合や先入観が邪魔をしてありのままが見れない自分がいる。

室町時代、京都の街中にくねくね曲がった松がありました。
そこに一休禅師が「この松をまっすぐに見た者には金一貫文を与える。大徳寺一休」

大金だから街の人は必死になって、はしごをかけて斜めから見たり、木によじ登って上から見たりしたが、どうしてもまっすぐには見えない。

親友の蓮如上人が素晴しい回答を出される。
「曲がった松を『曲がった松じゃのー』と見るのがまっすぐな見方なのだ。」
白い物は白い、黒い物は黒い。
われわれの眼に自分の利害や都合がかかってくると正しく見れないのである。
たとえば、他人の答案には厳しく、自分の答案には採点が甘い。
他人の欠点を並べ立てるのは早いが、自分の欠点は並べられない。自分をよく見たいという本能が働くんですね。

「嫌な人の本当より、好きな人の嘘が良い」といった女性があった。
自分にとって都合の良い事はめったにないことであるように、
自分にとって都合の悪い事は認め、受けいれようとしなく大きく歪むんですね。(正見できない)
物事を100%良くても悪くても事実にそって受け入れられる人は現実の課題が明確になり智慧が湧き行動して乗り越えていける。
こんな人が幸福を実現できる人だ。

皆さんは現実100%受け入れ、幸福実現できてますか?

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