大阪石材社長ブログ

「時代が求める人材」について

投稿日:2021年6月14日 更新日:

NHKで渋沢栄一が主人公の大河ドラマが放送されている。
昨年来のコロナ禍という災難に見舞われ、体験したことのない解決が迫られている現在、渋沢ならどうするかを考えるのも現代を生きる我々には大切なことだ。

彼の主張は「合本主義」で、人・モノ・金・情報を適材適所に配置し、競争して公益に富まし、豊かな日本を創ることだ。そのためには逆境にめげない「やる気」と「気概」が必要であると同時に自分の本分(役割)を覚悟し、高い志は自分の行動を自由にしてくれるというのである。(士農工商の封建制度の束縛を感じていたのだろう)
彼は農民でありながら、武士となり一橋家に召し抱えられるという運命を得た。
最初は幕府を倒すという尊王攘夷派(そんのうじょういは)だったが、刻々と変わる情勢を見聞きして一橋家の平岡の誘いにより決意した。

さて、彼は精神の柱に「論語」を据えた。欧米のように宗教ではなく「武士道」だ。このことは後日書くとして…
「論語」為政第二に次のような文章がある。
「子曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳に従い、七十にして心の欲するところに従えども、矩をこえず。」
これを現代風に読むと、「14歳まではめちゃくちゃやった、29歳までは自分が何をしていいか分からず、39歳までは迷いっぱなしで、49歳まで自分の限界を知らず何にでも成れると思い込んでいた。59歳までは人から何を言われても耳を貸さなかった。69歳までは心の欲することをとことんやっていた。」となる。

さて、渋沢栄一は武士道こそ実業道と考えていて、西洋とは文化の違いということで争わないと考えいたのであろう。
武士は主君に忠義を尽くし無私の精神で仕えるのと同じで、民の為に善き政治を行うことが大切だと信じていた。
その反面、彼は単なる理想主義者でなく、「競争と協調」「厳しさと寛容」「経済と道徳」「私利と利他(公益)」というように、一見対立するものを具体的に同時進行させ、最終的には「公益」という高い志を持って自分を磨くことへと心を高める方向性を実践した。
「大学」の中にある修己治人を理想としていた。
「志を立てるとは人生という建築の骨組みであり、小さな志はその飾りなのだ」と言い切る。

渋沢も言ったように「経済活動」は手段に過ぎない。
「志を大きく持つこと」
それには古典に学ぶことが重要だ。
孔子も自分を知り、社会を知り、どう生きるかを考え、決断してきたのは上記の逆読みで感じ取れるだろう。
誰も明日はわからない。
「縁」によって広がり深まることは間違いない。
コロナ禍はそのための最高の環境かもしれないと、自分と本気で向き合ってみることだ。

皆さんは古典に学んだ人材育成どう思われますか?

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