看却下

投稿日:2019年6月15日 更新日:

禅の言葉で「足元を看る」ことを意味する。
夜道を歩いていたら、提灯の火が消え真っ暗になった。
そこで禅問答が始まり、で師匠にの一人弟子が答えた。
「看却下」(足元見ろ、飛躍して自己を見性することだ)
見事だ。
我々凡夫は足元が見えてないときが多い、
できもしない夢を見て苦しみ、できるのにやる気がないと怠ける。
自分という人間を照らせと、「照顧却下」という禅語もある。

さて、現代の若者はIT化によって、情報をスマホで検索し、
正解を見つけ出し行動する。
情報を事前に探し出し、大体思い通りにことが運ぶ、
価格ドットコムというアプリで最安値の家電製品を探し、
アマゾンに発注する。
最近の店舗は家電量販店でも、スーパーでも人と話して説明を聞かなくてもモノが買えるのである。
言い換えるとアマゾンと変わりはない。
コミュニケーションがいらない世界が便利さの裏側にある。

若者はラインはするが、電話には出ない。
選択でなく考えて会話するのがめんどくさいからだ。
会話は言語の共有がなければ意思疎通ができない、
昭和の時代は村社会が帰納していて、
同じような体験していたから、極端に共有できないことはなかった。

だから恋愛では親の親戚や知り合いの紹介とかで人物の保障が担保されていて安心できた。
ところが今はネット上で恋愛相手を探すサイトでゴールインするケースが多い。
私などは成りすましの結婚詐欺師と瞬間に疑い、簡単に付き合うことはない。
ところが、今は恋愛アプリで知り合うのが常識化している。
時々ニュースで女性の死体遺棄事件がかたるのは身元の保証のない恋愛ごっこではないだろうか?

旅行の予約も食事の予約も自在にスマホさえ使いこなせばできる時代だ。
聞くところによると今中国で流行ってるセミナーは「日本人を騙すセミナー」だそうだ。

スマホという万能の正解らしき答えをくれる便利な道具に頼ってしまい自分で思考することを削除して便利に流される。

最近の若者の退社する決め台詞は「私がこんなにできないとはおもいませんでした」だ。
バーチャルなスマホの世界では自己肯定する仲間とコンタクトするだけだから、自己否定して反省する事がない。
自己否定する人は避ければ良いし、困ったらシャットダウンする。
自己否定のない自己肯定は「独りよがり」といわれた昭和の時代が懐かしい。
情報化社会は心が軟弱に若者を生み出している事は間違いないように感じる。
直接、人と人がぶつかって始めて他人の気持ちもわかるし、
自分を看却下できる。

皆さんはIT化による便利さが若者の価値観を変化させていると思いませんか?

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