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「利己心の正体は虚栄」アダムスミスの見えざる手への誘い

投稿日:2021年9月12日 更新日:

現代の資本主義の基礎になっているのはアダム・スミスだ。
その基本には「利己心」の容認と「選択の自由」があるが、この在り方を根本的に見直し脱却する時期だと、安冨歩(やすとみ あゆみ)さんが「生きるための経済学」という自身の著書の中で述べている。

安冨さんによると、自己嫌悪→自己欺瞞→利己心→選択の自由→秩序化(最適)となるという。
なぜなら、自由放任主義の中で利己心剥き出しの略奪はしないで調整(見えざる手)、すなわち社会的には公平な観察者(良心)が働くというのである。
スミスの「分業論」によって生産力も上がり、科学技術の進歩は機械性工業社会を実現させている。

1810年代にはイギリスでは機械の打ち壊しが行われ、人間が機械の奴隷になるものかとストライキも起こる。
そして、1750年代の産業革命から100年経った頃にマルクスが現れ「人間疎外論」を展開する。
資本主義は資本家が富を独占し、人間を作業員化するので、私有財産をやめ、国土や資源の共産の社会を理想とした。
1917年に第一インターの活動が始まり、レーニンが指揮しソビエト連邦が出来るのである。

さて、現代は高度に発達した資本主義社会のアメリカで格差問題と人種差別問題がクローズアップされている。
一方、中国では専制的統制が強化され、経済は自由と言いながら巨大化したIT企業の締め付け、少子化を止めるために営利を目的にした民間学習塾の閉鎖することで教育費がかからず子育てが可能だという政策も行われているのが現実だ。

マルクスは二つの改革が必要と言っている。
社会変革と自己変革だ。
確かに政治によって川の堤防を、法律をつくって、自由に議論して決める民主主義(時間がかかる手間のいる制度)であるが、社会主義や共産主義は専制的に法をつくって行える強制的な方法を行使する。

しかし、法に依る川を流れる水はヘドロか、純粋なきれいな水かについては分からない。
国民自ら自律した哲学を持たなければならない。それがマルクスの言う自己変革だ。
その意味では安冨さんは自己嫌悪でなく、自愛→自分自身であること(忠恕)→安楽・喜び→自律・自立→積極的自由→創発であると述べている。
この連鎖により自分が主人公の哲学を磨き、外から与えられ、自ら自問自答し、内面を磨いた主体的な自由を獲得することへ転換すべきと結論づけられてる。
私も同感だが、個々人の学びの場が必要だと感じる。
またマルクスもそのことを指摘していることを付け加えておく。
マルクスは人間が奴隷的な不自由から自由になる「人間の解放」の為に資本論を研究したという。
其れには三つある。
1.貧困からの解放
2.哲学の貧困からの解放
3.政治的恐怖からの解放

まさに、自己変革は哲学の貧困から、自律した人間になることだ。
宮沢賢治の「農民芸実概論綱要」の序論に次のような文章がある。
「俺たちは皆農民である。ずいぶん忙しく仕事もつらい。もっと明るくイキイキと生活する道を見付けたい。われらの古い師父たちの中にはそう言う人も応々あった。近代科学の実証の求道者たちの実験とわれらの直観の一致において論じたい。世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。自我の意識が個人から集団社会宇宙と次第に進化するこの方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか。新たな時代は世界が一の意識となり生物となる方向にある。正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことである。われらは世界のまことの幸福を索ねよう。求道すでに道である。」

銀河系を自らの中に意識してという大宇宙にたった視点からの力強い言葉に感動を覚えると同時に、時代の未来を切り開くのには、自問自答し自分を積極的に磨き上げ、自律と自立を育てる覚悟がいる。

皆さんは安冨さんの自己変革の提案、如何思いますか?

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