何でも自己責任追求の社会で良いのでしょうか?

投稿日:2019年9月29日 更新日:

社会の中で仕事をするには「利他行」を優先する。
仏教の修行の中の「布施忍辱」という六波羅蜜の一つですが、
布施する人とされる人がいる大変重要な行動の一つですが、
布施の判断の基準を知らないと行動が出来ない。

欧米流の民主主義は自由を求めて互いが切磋琢磨し発展成長すると考える。
その根本は「自己責任論」がある。
騙すより騙されるほうが悪いという論理だ。

確かに、自己に厳しくなければ生きられないのも事実だが、
何か人情がなくなって殺伐とした社会になるようで心さびしい。
仏教では布施する人の基準には三つのタイプがあると諭す。
米を食べて生きる人間だから布施する相手を三の田んぼに喩え「三福田」と説く。

1.恩田=恩を受けている人(両親、兄弟、師匠、仲間といった自分の成長に関わってくれた人)
ところが、ついつい両親は当たり前で貰った嫁の親を大切にしたり、兄弟が喧嘩して疎遠になったりで助け合わないのも現実には多くある。
2.悲田=本当に困ってる人(突然の災害で生活手段を失った人、苦しいことがあって自分ではどうしようもない人)泣けば、困った顔すれば誰かが助けてくれると思ってる人は自立心を失い依存的になるから布施してはダメと諭す。
3.敬田=仏教ですから「仏法僧」の僧を意味します。
僧といっても、道を説き、苦しみから解脱させる法話ができる救済者のような人に出会うのは希だ。
お経を読んで布施を集金する事で形式化してしまってるのが現状ではないだろうか?
本物の尊敬できる僧も居られるが、私は接する機会が少ない。
戦後の宗教の自由で無関心になっている教育に問題があるのも事実だ。

日本の律令体制の基礎を作ったといわれる「十七条の憲法」は、
儒教、道教、仏教の三つの教えを学び聖徳太子が作ったものである。
それには上司は部下より早く出社して遅く帰る。
昨今話題の「みんなでやれば怖くない」的な賄賂を、
平気で貰うようなことはしてはいけないとも書いている。
(保身からいえなかったらしい)

注)欲望で自己中な利己の反対の利己心を保身という。

社会性とは「自利利他」の精神で「我利我利」という利己心ではだめということだ。
判断の基準は良心だ。
稲盛さんの言う「動機善私心なかりし」と如何に利己心を押えて、
公明正大にすることで組織は発展する。

人間は本来動物ですから本能むき出しで利己心一番なのだ。
しかし、文明が発展し、分業による協業が実現された現在の経済機構の中では、
自分の心を気高く清く磨くことを忘れて、物質的豊かさに酔いしれているのでは他人は納得しない。
連日マスコミでは不正が暴かれ、賄賂は追求されている。(まじめな人の鬱憤もはれる)
今こそ、心を高め人間力に照準を合わせ磨くチャンスが到来している。

皆さんは自己責任追求で人情のない社会を望まれますか?

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