体で聞く

投稿日:2019年10月4日 更新日:

情報化社会の現代は文字や記号、
映像で意志伝達する時代だ。
確かにパソコンやスマホは便利で、
いつでもどこでも連絡がつくことは間違いない。
ところが、FB、インスタグラムなどは別人が成りすましや、
嘘の情報を流されるのも事実だ。

蓮如上人が書かれた自力の心を振り捨てるために、
「領解文」(改悔文)の中には他力になる学び方が印されている。
1.頭で聞くと理解になる
2.心で聞くと共感になる
3.体で聞くと領解になる。(実感にて聞く)
私たちは理解する事ばかり考えて、
情報に振り回されているのではないでしょうか?
確かに10人が集まるとなると制約がいろいろでて、
なかなか会議もできません。
スマホさえあれば顔見て話ができる。
メールでさえ情報を送っていれば、
同じ場所にいなくても自分の時間を自由に使える。

便利を手にしたが体で聞く実感がなくなって、
推理力や洞察力、空気を読むことができなくなってきたように感じる。
個人主義で自由になる価値観を実現する事こそ正しいと、
信じ込んでいないだろうか?
仲間や家族が集まって規律正しくする事も束縛かもしれないが、
自由を噛みしめられる事にもなる。

自力とは自分の力ですが、頭で聞いたり心で聞いたりしない。
禅では「無」「空」になる。
自分の意も心も人間も意識しない「我」を無我という。
無我とは宇宙と一体になる実感を得ることだ。
他力とは宇宙を動かす法則そのものだ。
それを宗教的には「阿弥陀仏」と表現してる。
体で聞くことが日常茶飯事できたら、
毎日が極めて楽しい。(極楽)

皆さんは体で聞いていますか?

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