大阪石材社長ブログ

「誰にも負けない努力」

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自分の目標を達成するために、自ら苦行を課して自分と戦うことはない。
これは単なる自己満足ゲームに過ぎない。
仏教では「苦しみの元は『自我』」ということを諭す。
「我」をとることを意味するのであります。
元来人間には自分を守ること、種の保存する本能が仕組まれている。
だから、無意識に自分の行動を規定するのは守ることから考え始めるのが自然の成り行きだ。

幸田露伴の「努力論」には惜福という事が書かれている。
幸をあとに残しておいたり、人に分け与えたりして、わざと不足を作り出す。
時には損をすることをしてわざと不足を作る。
言い換えると損とは譲るということで、見返りを求めず譲ることは陰徳という。
同じように本能には好き嫌いがあり、嫌いを受容するのも寛容な心を創る陰徳である。
元来の本能の動きは損得なら得(利己)をとり、好き嫌いなら好きをとるのが自己保存、種の保存に合致する。
ところが幸田露伴は全く逆を行動することを諭すのである。

戦前の生まれの母から影響受けたのはこの惜福だったように感じる。
ご飯を食べるときに一番美味しいところは最後に置いておくような食べ方をして、「サー、食べよう」と思った頃に姉が帰ってきて取られた悔しい思いがある。
これと同じようなことだが、食べ物で好き嫌いがあると最初に嫌いなものを食べて好きなものを残す。
ところが、食べ進むうちにお腹がいっぱいになって、好きなものの味が下がるのである。
惜福が意味するところは自分の欲得を一番にして行動するんでなく、まず福をあえて後に残し、過を解決しておくこと、あるいはビジネスではお客さんの喜ぶことをして自分の利益を得る、上司が部下に手柄を与え見返り求めないという行動をすることが好ましいというのである。
仏教的には「利他行」一番で結果自利を得る、儒教的には「先憂後楽」と言って先に憂いて後で楽しむということだ。

さてそこには誰にも負けない努力がいる。
この誰にも負けない努力とは継続的に行動し続けるという意味だ。
このブログのタイトルは京セラの稲盛和夫さんの言葉を引用している。
若き稲盛さんはある日以下の言葉に触れて書き留められたそうだ。
「よく言うものあれども、よく為(な)すものは少なく。
よく為す者は有れども、よく久しゅうするものは少なく。
久しゅうして人いよいよ敬を加うるに至って稀に候」
よく言うもの、つまり評論家のような経営者について大言壮語する人はいくらでもいます。
しかし、よく為す者、つまり実際に会社を立派に成長させられるものは少ない。
またよしんば会社を発展させることができたとしても、これを久しくするも者、長く続けられる者はさらに少ない。
そして、繁栄を長く続けていく中で、いよいよ敬を加うる、
つまり尊敬されるような人間になる経営者は極めて稀だというのだ。
(出典:2013年3月18日、日本航空第11回リーダー会議)

そこで私は何か一つでも良いので、仲間のために、お客のために、業界や国家、地球のために、自分が毎日変わることなくやり続けたことがあるか自問自答した。
57才で心臓外科手術をして、新たに自分が久しく続けられることをしようと念じ続けてきたことが少しはある。
少しぐらいでは稲盛さんの誰にも負けない努力でもありませんし、尊敬を集めるどころではない。
身を引き締めて社員をはじめ仕事を手伝って下さる人に感謝して自分を磨き仕事に精進する次第だ。

みなさんは誰にも負けない努力如何考えられますか?

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