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「道」とは何かを論語から読み解く

投稿日:2022年8月17日 更新日:

論語の里仁第四にある二つの文を紹介する。
「朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり」
意味=朝に道(内面からくる在りかた)を理解でき実行できれば夕方に死んでも悔いがない。
「子曰く、参や、吾が、道は一を以てこれを貫く。曽子曰わく、夫子の道は忠恕のみ。」
意味=「曽子よ、私の道は一つの原理で貫いているよ。」曽子曰わく、「先生の道は忠(誠)と恕(おもいやり)と思うよ」
上記の二つの道は統一された秩序だったという意味がある。
同じ里仁第四に「子曰わく、三年父の道を改まる無きは、孝と謂う可し。」(意味=三年(喪中)間、父の在り方を変えないようにすれば、孝行な子と言えるだろう。)という一文もある。

「あり方」は存在であり、「やり方」は手段である。
「道」とはあり方を言い、秩序だって統一されたものだが、さらに「仁」(思いやり)、礼(人に接するマナー・態度)で表現することも現実的にはいるという。
孔子は天地人を貫く姿勢、あり方を「道」と言っており、決して理想化した恒久不変の道でなく、人間が人間になる導きの言葉として自分自身に問いかけているのであって、自分を離れない主体性を感じる。

孔子の時代は都市化が始まって、個体識別ができないぐらいに人が集まって暮らしていた。
そんな社会で必要なのが「礼」である。
彼は御者をしていたところもあるが馬から学んだのが「礼」だ。
馬は個体識別ができないから誰でも乗せる。
しかし馬との信頼感というマナー、ルールを通さないと蹴落とされる。

群雄割拠の2500年前の春秋時代は想像するしかないが、孔子の説く「道」は現代でも通じる生きる指針となるに違いない。

みなさんは「道」いかが考えられますか?

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