「管仲」に学ぶ

投稿日:2019年2月16日 更新日:

中国の春秋戦国時代の斉の桓公に使えた人物だ。
諸子百家時代の法家の第一人者で孔子がでてくる90年ぐらい前の人物だ。
この末裔には秦の始皇帝が「君ともっと早く会いたかったという」韓非子がいる。

始皇帝はご存知のように法体系をびっしり整えて政治をやったのだが、
14~5年で崩壊してしまう。

法と罰則があまりにも厳しかったからである。
その後、漢の劉邦は「法三章」と簡略化したのは歴史的な事実だ。

さて、管仲もラッキーな人である。
故事に「管鮑の交わり」といって大親友というのがある。
鮑叔牙といって桓公の父の僖公の相となった人であった。
管仲は桓公の兄弟の糾(きゅう)の相だった。
跡目争いの時に管仲は桓公を暗殺したが失敗した。
その後糾は殺され、管仲は投獄された。

当然殺されるところだったが、
鮑叔牙が「天下を取るには管仲は使える」と進言し助かった。
その後の働きも素晴しいものがある。
彼は現実主義者で唯物論的だ。

管子の中の牧民篇に、「衣食たりて礼節を知る」の元の言葉がある。
「日々の暮らしが楽になれば、自然に礼儀をわきまえる。
生活にゆとりができさえすれば、道徳意識は自ずと高まる」

重農主義的で農業生産が発展の原動力と考えていた。

乗馬篇では「四民分業定住論」(中国学者説)といわれ士農工商と言う四階層を作った。
これは周王朝の時代からやっている制度でもあった。

枢言篇には、「衆人のその心を用うるや、愛は憎しみの始め、
徳は恨みの本なり。ただ賢者は然からず」

意味=凡人は報いられる事を期待する。したがって、愛は憎しみの始め、
徳は恨みの本となる。しかし、賢者は違う。

「先王は事を持って交わりを合わせ、徳を持って人をひきつけた。
二つの者合わざるときは、成るなく、親なし」

意味=昔の名君は利を持って他国と結び、徳を持って人をひきつける。

利と徳の二つを持ってしなければ、大業は成就しない。国と国、人と人にも円滑を欠く。
この時代は戦乱の世の中、油断すれば戦って奪われる時代で危機感がいつもある。

現代はどうだろう。

危機感ということから言えば、若者に末来の危機が見えてるのだろうか?

故堺屋太一さんは「低意欲時代」と現代を名付け、
欲望、夢、やる気が低いといっておられる。

人で不足の現在、求人倍率を見ても1.6倍とかで仕事はいくらでもある。
生活環境は24時間どこでもお金さえあれば買い物ができるし、食物もあり、
ネットカフェに行けば住居にもなり、雨露がしのげるのである。

日米の貿易戦争は新しい冷戦だという人もいる危機感の人もいる。

皆さんは2600年前の管仲が考えたこと現代人が何を生かせるとおもいますか?

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