職業としての政治、職業としての学問

投稿日:2018年6月30日 更新日:

マックスウエーバーが深く研究した書物だ。
私たち学生時代に学んだのは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」だ。
これは、唯物論的な経済学の下部構造が上部構造を規定することに、人間の持ってるプロテスタントの倫理観が下部構造を発展させると逆説的に説いた。

日本で言うと二宮尊徳の「道徳なき経済は罪悪、経済なき道徳は戯言」という見方からすれば、道徳的な献身があってこそ、資本主義という自由な取引をする信用経済が発展したと考えるのだ。

現代の政治、経済の見方はあまりにも唯物論的なかんがえが優先しすぎていないか疑問を感じる。
政治家にも二つのタイプの人がいるというのである。
1.政治のために生きてる人
2.政治によって生きてる人

これには経済が関係している。
労働者や経営者は純粋に働く事を手放せないから、収入を当てにして生きる政治家にしかなれない。
医者もだろう。

政治家は権力を行使し分配を決めるには「信念」がいると結び、それは人類全体の目的、社会的目的、倫理的あるいは文化的目的である。
だから政治家に求められる資質は「情熱」と「判断力」の両方を使いながら堅い板に力をこめて、ゆっくりと穴を開けていくような仕事だというのである。

不可能ということに取り組まなければならない。でなければいま可能と思われることも実現できない。
世界がどれだけ愚かに見えてもくじけない人であり、どんな事態に陥っても「それでも私はやる」と断言できる人こそが政治が天職だというのだ。

これは学問も同じだ。
学問を職業として収入を得ていれば、「信念」を貫けるかである。
我が恩師小田切瑞穂先生は収入のために学問的信念を曲げなかった人だ。
われわれが月一回の講義を受け東京からの交通費と講義料を払ったときに、これは「手当て」か「布施」かと聞かれました。

自分の学問探究の信念があって、「手当て」ならいらないと言われた。
「布施」なら受け取るといわれたのである。

当時の私は意味がわからず、「どちらでも」先生が納得されるようにというと、「では布施として受け取る」「君はお金の与え方。使い方が解ってない」「君が持ってたらよい意味で使わない」「貰ってあげる」
こんなせりふだったと思う。
恩着せがましく貰うのだと思ったが、反論もできなかった自分がいた。

マックスウエバーも人間の持ってる善の心や良心からの行為でありたいと願っていたに違いない。
これを単なる理想論、観念論とかたずける唯物論の哲学の時代から、
新しい哲学の時代に向かっているように思う。

皆さんはいかが考えますか?

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