東洋的な見方

投稿日:2017年10月18日 更新日:

鈴木大拙さんが90歳前後に書かれた本だ。
仏教を守る運動を展開された禅の学者であり、
島地黙雷、浄土真宗の清沢満志さんと共に活動された。

明治になって廃仏毀釈により日本は神道になった。
海外の圧倒的な物質文明に驚き、封建時代を否定し、
新しく西洋の科学や資本主義制度並びに哲理を学ぶようになった。

日本には538年に仏教が伝来し、外来文化を取り入れ発展させたい蘇我氏が物部氏に勝利して仏教国として歩み始めた。

593年聖徳太子が摂政と成り仏教国となるのである。
奈良の南都六宗に始まり、遣唐使を盛んに送り中国の仏教を学ぶ。
天台宗の最澄、真言密教の空海始め宗の時代(中国)にも道元などが学びに行くのである。

鎌倉時代は新仏教として日蓮や法然、親鸞は一般大衆を救済し、
臨済宗、曹洞宗などは武士の精神バックボーンとして花開いた。

その日本の仏教が明治になって全くだめになってしまったのである。
当時は山岳宗教の修験道の山伏が十万人いたといわれているがみんな失業したのである。

鈴木大拙は江戸時代の臨済宗の中興の祖としての白隠禅師にもスポットを当て、
禅の闊達な自由で自在さを世界に発信し、戦後の日本人にも「絶対矛盾の自己同一」
のモノの見方を説いたのである。

西洋はどうしても相対な見方をし必ず対峙するものが前提の見方だ。
(現在のアメリカの対応を見れば北朝鮮やイランを悪の国としている対峙し自由を旗印にする)
東洋はそうではなく矛盾するが一つ(一如)と見方、「自他不二」と自分と他人を分けない。
これを無分別知というのである。

「心自体」は「物自体」と大拙さんが表現されてるように、
心とモノが不二である.その間に概念はない。「空即是色」だ。
逆にモノそのものは心だ。「色即是空」である。

現実を絶対肯定する。
善だ悪だ、地獄だ極楽だと分けないのである。
地獄に没入すれば極楽が現れ、極楽に没入して入り込んだら地獄となる。

人間は地獄が必定と罪悪深重の存在だと言い切る。
この自覚にたって善悪を超克するのが無分別知だ。

赤子の純粋な無分別は自我に対する純粋さであるが、
大人の純粋な無分別は自分も純粋だが他人に対しても純粋であるというのだ。

「朕兆未だ分かれざる以前に暁会(ぎょうえ)し、思量意路未だ動かざる以前に識取す」
「父母未生以前の本来の面目」
このような表現をするのである。

己一人、自由自在の主観から相対的な客観を超えて超絶対的な自己へ飛躍する。
(浄土真宗では横超と言う)。
「柳は緑 花は紅」という眼前の事実はもはや主観も客観も超えた絶対的自己、
大人の自由で自在を体得するのである。
西洋にはない、この東洋的な見方を今の日本人が体得すべきと力説する。

90歳の先生の迫力に満ちた文章に出会い、
吉田松陰の「至誠通天」という文字を思い浮かんだ。

皆さんはこの東洋的な見方どこかで聞かれたことあるでしょうか?

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