できない自分を受け入れる

投稿日:2017年10月9日 更新日:

毎年新卒が入社するが、三日三月三年といって、
社会の壁にぶつかり、他に自分に合った仕事があると考える。
何か壁にぶつかり退社する。

異口同音に言うのが、「私がこんなにできない自分だと思わなかった」だ。
私も入社して6ヶ月で退社したので解らないでもない。

なぜ壁にぶつかるかというと、「できる自分」という自己肯定観があるからだ。
現実の自分の能力が会社で何番ぐらいにいるのか解らないのが原因だ。
私も同僚に勝とうとして実力以上の行動してしまい、後が続かなくなって辞めたのだ。

これも自分の能力がわかっていなかったのだ。
でも会社を辞める時は親に、「この会社は人を観る眼がない」と、
会社が悪いと決め付けて話していた。

その後の再就職には大変苦労したのを思い出す。

人間は「器量」と「度量」がある。
「器量」とは具体的な実務能力だ。才覚ということだが、
会社の中で何番ぐらい、業界のトップがどんな人とか、
社会全体の平均という相対的に自分の位置を知ることも重要だ。

言い換えると「できる自分とできない自分」を受け入れる覚悟がいる。

理想的な自分だけを基準にしたら、見栄を張って疲れて倒れる。
とはいえ、慇懃無礼に下手に出て実力以下の行動をすれば、
人を騙したようになり信用してもらえない。

今の実力を普通にありのままに行動し、見栄を張らずに事実を正直に!
ここが非常に大事だ。

「度量」とは富士山に登るのに山梨からでも、静岡からでもいろんな登り方があるように、
自分の価値だけが正しいと独善的にならず、
いろんな価値を受け入れることを言う。(気持ちが大きく余裕のある心)

こう書いていると勝海舟の言葉を思い出した。
「行蔵は我に存す、毀誉(きよ)は他人の主張、我に与(あず)からず我に関せずに存候」
意味=行動は私の責任である。どのように人が言おうが他人の主張です。私には関係がないですね。

これは福沢諭吉が明治政府になり政府高官の勝海舟と榎本武揚に質問状を出した答えだ。
海舟は「これだけやったのに何が起きても仕方ないよ」ということだ。
自分を信じて迷いや悩みのない心の余裕としか言いようがない返答だ。
このような器量と度量の人物が歴史上にいたことが誇らしく思う。

私は自己責任100%と考え過ぎ、自責の念を起こす狭量家である。

最近の世間の話題は安部首相が衆議院を解散し、
「希望の党」が保守の革新として新しく結党し、小池百合子が登場した。
本物の政治家か、成り行きを見たい。

皆さんは「できない自分」を受け入れ、
自分の実力通りの器量と度量で仕事・生活楽しまれてますか?

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