欲道一如

投稿日:2019年11月19日 更新日:

仕事、人生を全うに行動し、
成果を得るには欲をどの割合でならいいのかと考えるのは、
相対的な分別知である。

仏教では「無分別」ということを自覚しろ、と言う。
ところが、仏教では自我を捨てろとか、私利私欲に溺れるなという表現が出てくる。
欲を出してはいけないと考えてしまう。

安岡正篤先生は、方向性だと諭されている。

「道徳とは、人間の小欲をしりぞけて大欲を全うすることだ。
欲を離れて道はない。
ただ、大志あって、コセコセした小欲に拘泥(こうでい)せぬだけだ。」

このように断言される。
凡人の我々は、同じ土俵の中で矛盾を比率で決めようとする。
大小でなく、平面でなく、立体で考えれば、
高さ(欲の方向性)という意味が理解できる。

これには強く強く「大志」を持つ意志がいる。
また自分の置かれてる環境や仲間を含めたすべてに感謝と愛を持つことが、
大志をさらに強固なものにするのである。

稲森和夫さんの経営フィロソフィーの中に「誰にも負けない努力」は時間の問題でなく、
自分の中の小欲に負けない意志を必要とする
具体的には日常行動の中で無意識に、
大志を果たしたいという思いを貫く行動習慣を創らねばならない。
そのためには自分の体に叩き込む誰にも負けない努力の行動がいることを意味する。

「大欲は非情に似たり」とも稲森さんは言っておられる。
自分に対して大欲で、他人を自立に導くのに対して非情になれるか、とも問いかけられている。

皆さんは、欲の強さは大欲で、方向性は大志ですか?

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