歴史の中の人物に学ぶ

投稿日:2017年6月30日 更新日:

内村鑑三が書いた「代表的日本人」の中に、米沢藩の上杉鷹山がいる。
アメリカの大統領のケネディは素晴しい政治家として上杉鷹山をあげたので知った。

鷹山の指南役の儒学者は江戸両国橋のたもとで辻説法して道徳を説いた細井平洲である。
扇子一本で話す中味にすすり泣く人が絶えなかったので、上杉鷹山の師に抜擢されたというのだ。

平洲は民百姓は子供と一緒だから、親は飢え凍えるのを悲しむのが天性だと諭し、
臣民と艱難を分かち合ってこそ藩主の務めだと説く。

素直な鷹山は大改革は既得権にしがみつくものにとっては抵抗があると考え、
志のある人間で固め、自ら粗末な食事に綿の着物を着て質素倹約して藩財政を立て直すのである。

「十人の臣に一人不良が立ちまじれば、一人の毒まわり、すみやかなり」という言葉を残している。

志を共にしない人を抜擢し、社内改革が遅れ二年間苦しみ、
業績を悪化させたのは私の眼力のなさだ。
大いに反省しなくればまじめに働く同志に申し訳ない。

なぜ見誤ったかである。
それはその人の行動を信じたのでなく、言葉を信じたからだ。
人は言行一致で見抜かねばならないとわかっていながら、自分の欲がで熟考しなかったからだ。

江戸時代の中期の真言宗の僧、慈雲(1718~1805)の判断の基準が心にしみる。

「天地をもって、わが心とせば、いたるところ安楽なり」

将に私心が自分の判断を鈍らせたのである。
京セラの稲盛さんも第二電電を創業するときに悩まれ、
自問自答された言葉は「動機善私心なかりし」世のため人のためで私欲はないと自己を見つめられた。

重要な決断は「私心」がないこと「動機」世のため人のためになる三方良しかである。
弱きもの人間。
歴史の中の人物が今を生きる人に生きてるように語り掛ける言霊が本として残されてる事に感謝だ。

皆さんはどんな言霊を支えになさっていますか?

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