三車火宅の喩え(法華経)

投稿日:2017年6月29日 更新日:

「嘘も方便」というのは法華経二十八品の第二の方便品からくる言葉だ。
第三が比喩品である。
昭和の50年代に創業し無我夢中で現実と戦って苦しんでいた。
恩師小田切瑞穂先生(理論物理学の教授)は月に一回二時間講義していただいていた。
われわれは物理学は解らないので「般若心経」「臨斉録」「黄檗伝心法要」を学んでいた。

京都、大本山御用達の貝葉書院発行の和綴じの漢文で書かれた本の素読をする。
最初は全くちんぷんかんぷんで解らなかったのが本心だ。
ただ解説を聞きながら暗記するかのように聞いていたことを昨日の事のように思い出す。

ところが、不思議な事に漢字を追っていくうちに、
何となく、こんな事言ってるのか推測できいるようになった。
慣れるというのはこういうことを言うのだと実感もした。(繰り返しやり続ける)

私たちの反応を見て何度も同じ話しを繰り返し言ってくださった先生の教え方が上手かったのだろう。

今も中国禅の六祖慧能大観の話しは日本昔話のように暗記している。

事業は資金もない、社会的信用もない、技術もない中でのスタートだったから、
明日生き残これるかどうかも解らない不安定な状況であり、心も不安でいっぱいだった。

月に一度の小田切先生の講義は中味の話しより、
社会という大海でおぼれそうになってる私たちに、
浮き輪をわたしてくれるような安心感があった。

三車の火宅の喩えも暗記するぐらいに何度も話してくださった。

長者(釈迦)は屋敷に火事(人間の煩悩)が起こったことに気づき逃れたが、子供はのんきに遊んでいる。
「危ないから外にでなさい」と必死になって叫ぶが遊びに夢中で気付かない。
そこで長者は「お前たちがずーとほしがっていた羊車、鹿車、牛車あげるからすぐ出ておいで」
羊車、鹿車、牛車は(声聞、縁覚、菩薩の三乗を比喩してる)

その言葉を聴いた子供は喜んででてくる。
しかし、外にはそんなものはなかった。嘘だった。
子供たちは「約束が違うよ」と言って訴える。
長者は三つの車より立派な「大白牛車」(法華経の一仏乗)をあげるのである。

この話は世間という欲の真っ只中にいて事業をするわれわれにとっては逆の話しのように聞こえる。
「欲を持つな離せ」「社会に役立つように利他行しろ」というのであるが、
講義後は、日々の仕事に疲れ殺伐とした気持ちが静められ心が癒され落ち着くのを感じた。

内心は「先生は学者だからきれいごと言ってるのだ」と、
この説話の本当の意味を理解できていなかったのも事実だ。

仕事を通じて少しでも利他行ができ、
心が少しでも火宅に目覚め、浄化される事を念願する次第だ。
恩師に感謝である。

皆さんはこんなたとえ話、聞かれた事ありますか?

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