鐘を撞(つ)くが如し

投稿日:2017年6月14日 更新日:

「鐘を撞くが如し」は礼記の中にある言葉である。
誰でも知ってるように、鐘は小さく撞けば小さい音がし、大きく撞けば大きい音が鳴る。
坂本竜馬が勝海舟に西郷隆盛さんとはどんな人物かを尋ねた時の答えが、
「鐘を撞くが如し」という言葉であった。

竜馬は後に「西郷さんに会ったとき鐘を撞くのに私は小さくしか撞けなかった」と述懐してる。
さて高知の下級武士だった竜馬は新しい時代の幕開けに東奔西走した男には違いない。

彼らを支えた思想的人物に王陽明がいる。
謙虚の反対の「傲慢」の傲は大病だと言い切る。

王陽明の「伝習録」に「人生の大病はただこれ一(いつ)に傲の字なり」と断言してる。
「傲」は自分の能力や才能を鼻にかけて人を見下す事だ。
具体的な日常の人間関係で「傲」はどんな態度になるか明快に解いている。

「子となって傲なれば不孝。臣となって傲なれば必ず不忠。
父となって傲なれば必ず不慈。友となって傲なれば必ず不信。」

王陽明はこの「傲」にならないようにするには「無我」になれと諭す。
無我=胸中に何者もとどめない境地の意味、生まれながらの心とも言える。

誰でも簡単に無我になれませんが、
王陽明は無我になったら人間はどうなるかまで書き記してる。

「無我になれば自ずから能く謙なり。謙は衆善の基にして、傲は衆悪の魁(さきがけ)なり」
無我になると人間は感謝を忘れず謙虚になり、
逆に無我になれなかったら独善的で教条的で狭量な悪い人間の魁となるというのである。

「動機善私心無かりし」と事業をやる心の立ち位置、姿勢を私心なしの無我にすること
と言われたのは、京セラの会長稲盛和夫さんだ。

稲盛さんは世の中や他人に役に立つ利他行を率先しておこなう事で、
具体的に社会に役立ち、同時に自分の本能や利己心を少しでも小さくできる心が養われると説く。
一生懸命仕事すると「万病に効く薬」であり、
末来の自分の道が自ずと開け具体的に切り開けるとおっしゃる。

武者小路実篤の言葉に「我以外皆師」という言葉がある。
誰からもどんな出来事からも学ぶ姿勢で、
大きく鐘を撞くようにすれば、仕事も自分の徳も磨けることは間違いない。

皆さんはいろんな人や出来事を大きく撞いてますか?

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