多様な考え方を認めるフランス

投稿日:2017年3月13日 更新日:

弊社の社労士のかたがフランスに学びにいかれた。
そこで感じたことをおっしゃっていたのは社会主義的な考えで、
機会の平等を重視されているという事でした。
もちろん外国人にないのは選挙権だけで、
大学卒業するまで学費は無料である。

外国人差別は全くない。
働くものにとっては最低賃金も日本より高く、
日曜日は基本的に休日で長期バカンスも取る。
ところが近年、社会保障や福祉が充実するが財政負担が増えて、失業者の失業保険も多くなり、国民がその負担を上回る経済的生産性が上がってるかといえば上がらないのが現状だ。

マルクスの思想の源泉は三つである。
ドイツの観念哲学(ヘーゲルの弁証法)それにフランスの啓蒙思想(サン・シモン、フーリエ)
それにイギリスの経済学といわれている。

中世はキリスト教内の宗教戦争で明け暮れたヨーロッパはことさら個人という価値を一方でいいながら、社会全体で子供を育て、医療や福祉も全体でやろうという眼に見えたバランスの考えが専攻している。
だからヨーロッパでは消費税(間接税)が20%前後に成っているのが現状だ。

教育の中味も自分で論理的に考えるように躾けられている。
1+1=?
これを日本では2と答える、最近は答えは一通りでないという教えもあり、
逆に10=2+8、10=3+7といった逆の答え方もあると教えるが、
実に機械的で数学的、合理的な答えだ。
たとえば雪が解けたら水になるという合理的に情緒のない答えを出すのが今の日本人だ。
雪が解けたら春になると答えるのも答えだ。
情緒があって景色が眼に浮かぶ!!!

フランスでは「解答、根拠、要件事実」弁証法的に自分で組み立てる教育がなされている。
だからいっぱい答えがあるということが、小さなときから教えられるのだ。

日本の教育は「正解」ありきの教育で柔軟心が欠如している。
日本人は「常識」や「当たり前」で深く掘り下げる教育をなされていない。

しかし、真剣に深く「常識」とはなにか?「当たり前」とは何か?
ここを掘り下げると実に日本のほうがはるかに深く意味のある学びをしているのである。

「常識」とは人間社会が決めたトレンドであり、一方では個人が体験し学んだ価値観のことである。
「当たり前」は誰が聞いてもおかしくない「良識」=良心のことを言ってるのである。
言い返ると「常識」は変化する、「良識」は普遍である。
日本人は優柔不断で、物事を決め付けないうじうじした国民のように世界では感じられてるが違う。
それは、「おもてなしの心」のように、事情事情にあった答えを考え出す達人なのだ。

まずは自分の考えのように頭で考えた「意識」で会話するのでなく、
「気」使いから相手のためになることしようと考え、
そこから「意」具体的方法論になるのである。

欧米人は逆に「意」から自分の説を訴えて、違う「意」の方法と戦って、
お互いが折れ合うという会話方法で事物の進化や進歩を見つけ出す。

議会の二院内閣制や法廷の検事と弁護士が議論して戦いあう形式を取る。
日本では戦うのは最後の手段で、
事前に気配を察するという事で戦うまでいくことを良しとしないのである。

江戸時代の武家社会では武士道といわれ武士道のような考え方が確立する。
新渡戸稲造が「外人に向け「武士道」書き、内村鑑三が「代表的日本人」を世界に問うたのである。

皆さんも戦前を学ばないで否定するのでなく、二宮金次郎や西郷隆盛の生き方を学べば、
現代を生き抜く智慧がいっぱい詰っていると察する。

皆さんはヨーロッパの中のフランスの現状の教育・福祉どのように感じてますか?

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