日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識

投稿日:2016年3月27日 更新日:

世界の常識を創っているのは誰か?
WASP(ワスプ)これはホワイト(白人)アングロサクソン(人種)プロテスタント(キリスト教)の略だ。プロテスタントのかたがたは非常に禁欲主義で勤勉な人たちだ。

経済はイギリスの産業革命以後20世紀にはアメリカのWASPの方々が中心に牽引してきた。

世界は経済の発展は言い変えると世界各国との貿易による交換の増大でもあった。
人種や国の違う者同士が取引するには互いが認める方法や判断基準の共有が計らねばならない。

そのスタンダードを創るのは経済的先進国である。
明治の日本は280の藩があって、各藩が独自の特色を持っていた。
世界の国と同じような中央集権的な体制を作り、日本を統一国家にしていく維新が起こる。

このバックボーンは身分差別の苦しみからの解放として多くの人に受け入れられた。
その奥にあったのは武家の作法である。
儒教の四書五経を寺子屋で学びでいたと察せられる。

司馬さんは、日本人の特徴を共感性(思いやる心)であるといわれ、察する心だと表現された。
だが、ややもすると思いやる心が勝って自己確立の心が弱くなる
と、明治と現代を見つめられる。
明治には福沢諭吉のような独立自尊の精神があったというのである。

自己確立というのは自分に厳しく他人に優しいことと、
自分で考え自分で決断し行動することだ。

日本人は自分と他人との区別がなく一体感のほうが強い。
最近は、その反動で区別して、一体感を避ける傾向もある。
(根っこでは共感し合いたい心がある)

本来は区別があることを察しているが一体感を醸成する言動をしていたのが日本人だ。
1980年代は「ジャパンイズナンバーワン」といわれ、
日本の製品の品質が世界最高と賞賛を浴びた時代があった。

ものづくりの決め細やかさ、人間に優しいものづくり。
これが日本の「おもてなしの心」茶道の心に通じる。
主客一如と言って、お客さんの好みを亭主は事前に知って、
客に対して、自慢でなく最高の品質道具や新鮮な季節の食べ物でもてなしをするのである。

1980年以降、世界は日本の常識を真似して、ものづくりの手本として吸収していきました。
日本は世界の常識を真似して日本のよさを、
失っていくプロセスにはいっていったように感じるのは私だけでしょうか。
欧米の個人主義、仕事の効率、成果主義が正しいとばかり、欧米の真似を今もしてるのである。

明治のように日本の文化に世界の技術を入れた。
「和魂洋才」「士魂商才」といったハイブリッドな考えがあって独立自尊の精神がほしい。

先日FBにアフリカのペナンから来たゾマホンが日本はおかしいと評していた。
保育所の問題で「日本死ね」とかかれていたのに驚き、
ペナンではこんな言葉ははかないのが常識で、言論の自由ではないといった論調だった。

私も権利だけで義務のないバランスにかけた発言が気になる。(良識)
常識、良識、良心はどこに行ったか改めて考える必要を感じた。

世界の常識と日本の常識のどちらが正しいかと言う二者択一をすることが発展につながるのでなく、世界の常識と日本の常識のハイブリッドを生み出す気概がいると感じてる。
世界に正しさがあるのでなく、正しさを創って行ってこそ平和がくるのではないだろうか?

皆さんはどう感じていますか?

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