のびのびと書く

投稿日:2016年12月12日 更新日:

書を学んで4~5年になる。
友人が進めてくれたので始めたが、動機は不純だ。
「字が上手ね」と言われたいという利己心からきてるからだ。

なぜ動機が不純かというと先生は、この発想は基準が他人に置かれていて、
上手く書こうと緊張を誘い、のびのびと字がかけない体とおっしゃられる。

もちろん筆の使い方や、筆を止めるところで止めて丁寧に書くことが必須だ。
心を無にし、力を抜く事だとおっしゃられる。

私の字を見て先生は「この字は不自然だといわれる」筆の運びがわざとらしく、
筆が自然に流れてなく途切れ途切れになってる。
綺麗に書こうと意識すると身体に緊張感が走ってぎこちなくなる。

言われるとおりだ。

これは書を書くことに限った事だけでなく、日常生活上にもいえるのである。
基本的に大事なことは、
1.「完璧な字を書くのでなく、丁寧に書くこと」
2.「力を抜いて気を抜かないこと」
3.「こころを開放し無心になって自由奔放にのびのび書くこと」

少しでも急いだり、いらいらしたりすると行動は雑になる。
そして無駄なところに力が入るのだとおっしゃられる。

如何にこころを無心にして野原で裸足で歩いて草を踏みしめて、
こころが開放されるイメージを持つことだ。
字を書くことが楽しくて仕方なく顔がほころび笑顔になるようにだそうだ。

必ずしも練習に練習を重ね、手に血がにじむぐらい書くことでなく、
こころが嬉しくて仕方ないと思えることのほうが大事だとおっしゃられる。

変なところに力も入らず、フォームも自然と流れるような筆の運びとなり、
字に風が通るように隙間(空間ができる)や流れを感じる書が出来上がるそうだ。

完璧でなくてもいいから丁寧に書くと自然と力が抜けのである。
最近になって、やっと、字を書くことの入り口にたどり着いたようだ。
楽しくて仕方が無い。

人生も同じだと思う。
嬉しいから気が喜び、悲しいから気が落ちこむのでなく、
嬉しくても悲しくても気を上がったり下がったりせず、
自然な力加減で、平凡な事こつこつ非凡にやりぬく事だ。
きっと良い字が書けるに違いない。
あきらめない事だ。

皆さんは字を書く時に手先で書いていませんか、それとものびのび書いておられますか?

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