経営するとは自分を経営すること

投稿日:2020年3月17日 更新日:

論語は政治をいかに経営するかが書かれている指南書である。
郷党第十には孔子の人柄、日常の生活の在り方や、
目上の人と接したり、部下との接し方が細かく書かれている。

「孔子、郷黨(きょうとう)に於いて恂恂(じゅんじゅん)恕たり。
言うこと能わざる者に似たり。
「その宗廟朝廷に在すや、便々として言い、唯謹めるのみ。」

意味=郷里においては,穏やかでうやうやしく、
   などまるでできないように見える。
   君の宗廟や役所におられるときは、はきはきと話されたが、
   決してでしゃばるようなことはなさらなかった。
さて、孔子が一番愛した弟子の顔淵第十二の出だしには、

「顔淵、仁を問う。子曰く、己に克ちて禮に復えるを仁と為す」
一日己に克ちて禮に復えれば、天下仁に帰す。
仁を為すは己に由る。而して人に由らんや」

意味=顔淵が仁について問いました。
   私利私欲に打ち勝って社会の秩序と調和を保つ礼に立ち返るが仁である。
   たとえ一日でも己の克って礼に帰れば、天下の人も必ず仁になっていく。
   その仁を行うは自らの意志によるべきで、他人の助けによるべきでない。
「子貢政を問う。子曰く食を足し兵を足し、民これを信にす。
 子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、この三者に於いて何れを先にせん。 
 曰く、兵を去らん。曰く必ず已むを得ずして去らば、
 この二者に於いて何れをか先にせん。
 曰く、食を去らん。古より皆死あり、民信無くば立たず。」

意味=子貢が政治の要諦を聞く、食料を豊かにし、兵(軍備)を充実し民に道義を持たせることだ。
   子貢がさらに訪ねた。どうしても已むなく、捨てなければならないときに、
    この三つの中でどれを先に捨てようか。
    孔子いわく兵を捨てよう、さらに已むを得ず捨てるなら二者で何方が先に捨てる。
    孔子は食を捨てよう。食の有無にかかわらず人はみな死ぬものだ。
    しかし人に信がなくなると社会は成り立たなくなる。

ビジネスではリーダーとかマネージメントが叫ばれるこの頃であるが、
他人を動かそうとするのはマネージメントではありません。
自らがその立場で自らを経営することがマネージメントの神髄であると孔子が教えています。
他人の約束を守るのは自分に利益があり社会から追い出されないようにする自利だ。
自分との約束は自分しか被害がないから破りやすいのも人間の常である。
しかし、孔子は社会の秩序は「信」無くば立たずといいきる。
自分との約束を守れないものがマネージメントなどできないというのである。

皆さんは自分との約束守れていますか?

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