「論語とドラッカー」

投稿日:2020年7月15日 更新日:

ドラッカーによると、「マネジメント」とは「学習」に着目し、いかに「自由な社会」を創るかを模索をすることだ。
決して組織を管理する手段や方法を言うのではないのである。
この自由な社会には2つの自己革新がいる。
1、「個人」の能力と責任ある役割の主体者であること。
2、儒教の相互依存関係による人間の倫理関係の調和、共感しあう人格であること。

このようにドラッカーが考えたのは、第一次世界大戦のドイツの全体主義を体験したからである。
個人主義として行き過ぎてしまうと、わがまま勝手の自由となり、資本や武力によって勝った者の覇道主義となる。
一方、組織によって権力者が個人の自由を束縛する全体主義は不自由な社会になり組織は人間にとって不幸を押し付けることになる。
当然ドラッカーは現実をしっかり直視して、この基本的な哲学の元で組織が運営されることを「真摯さ」と表現するのである。

論語の読み方もいろいろあるが、2500年前の「正しい生き方」という道徳的な説教書と考えて読む人もいるだろうが、 道徳によって自分を縛る不自由な生き方になるのはドラッカーの「自由な社会」とは反するので、相互依存関係に着目している。

あくまでも、ドラッカーは人間の全体と個、善と悪、利他と利己といった矛盾する存在を100%受け入れて、自他不二(じたふに)、物心一如(ぶっしんいちにょ)、天人合一(てんじんごういつ)といったことを具現化するために、現実の課題を『一人がみんなのために、みんなが一人のために」ワンチームになって志を達成し学び合い、高め合っていく組織運営を目指しているのである。
現実の状況に合わせ、いつでも組織は自由自在に形を変え、この矛盾する不完全な人間が最大限この世の中で起こる出来事を、少しでもより良く解決していくプロセスに自らの知恵と行動を最大限使って具現化することを生きがいとし、利他行を通じて自らを磨き上げるのである。

私の願いは、小さな事業ではあるが覇道経営でもなく、全体主義的な人間の自由を奪う経営でもなく、王道経営を貫きたい。
それには自らが不完全で矛盾の中にいる人間を自覚し、真摯に現実と向き合い「三方よし」を実現させる経営をすることだ。
コロナウイルスの災難による世界中の経済と感染拡大の矛盾にどう対処するか挑んでいる現実は今を生きる人間の矛盾と重なる。
正解は歴史が決めることで、今正解はない。実行中だから!!
真摯に現実と向き合い、知恵を出し、解決を願った方法を行動するしかないが、誤れば即座に修正すればいい。
たった一つ言えることは「あきらめないこと」である。

皆さんは論語とドラッカーをどのように読み解かれていますか?

-経営
-