大阪石材社長ブログ

「経営に思う」

投稿日:2023年3月24日 更新日:

「会社は誰のものか」ということが20数年前に議論されたことがある。
その当時、アメリカははっきりと「株主のものだ」と、株主資本主義をかざした経営をしていた。
日本はというと「働く社員のものだ」と、政治と同じように国家は国民のものという論調だった。
その後、アメリカでは富の格差が広がったため「公益資本主義」と言い出し、日本でも会社とは会社に関わるあらゆる関係者全員のもの、「ステークホルダー」という表現に変化してきた。

言うなれば、これは公私に関わる課題でもあり、「経営者には『私』があるのか」、「時間で公私を分けるのか?」といった議論がなされた時期もあり、経営者も一般の社員も時間でけじめをつけようと考えた。
当時は学生運動や労働運動が盛んで、サービス残業の禁止とか労働時間削減などを求めた動きがあった。
その結果、日本は30年間のデフレ状態が現実となり、中国が世界第2位のGDP となり、米中対立軸が鮮明になってきている。

会社は私益ではなく公益である。言い換えると、社会の一つの機関だ。公に尽くすことが使命であると考える。
一方、国家はヨーロッパのような福祉国家へと政治的には舵を切ったが、国民の機嫌取り政策ばかりで、ドイツのように学校も病院も無料で公共交通機関も安く、インフラも充実しているようにもなっている。日本は産業構造こそ改革しなければならないが、進んでいないのが現状で、高コスト体質の経営になっている。
会社は経済活動をすることで社会を発展成長させる土台を担っているのである。如何に政治が公平に行われようとも、経済的な基盤がなければ行われない。
ただ単に税金を上げて社会を運営するというのでは国民は納得しないのが民主主義だ。

経済は商品やサービスを産み出し豊かな暮らしを実現する。しかし、一方で拝金主義者も生まれてくるのが現実だ。自由と平等を旗印に民主主義と相まって資本主義の拡大再生産が行われている。
お金に金利がつくということがすべてのサイクルを作っているのが事実だ。
だから経済には、「道徳」・「倫理」が個人としてなければならない。
これは難しいことではなく、昔から両親や教師が教えた「嘘をつくな、正直であれ、約束は守れ、人には親切にしろ」と言った、当たり前のことをするだけだ。経済ではその当たり前の判断ができる人を「王道」と言い、お金儲けに走る人を「覇道」という。

経営は公のもので、この当たり前の判断基準でコツコツ未来に向かって健全な投資をして発展、進化させる。日本人は文化的におっせっかいなところがあり、「人のためになることしたい」と異口同音に言う。どうも西洋的な個人主義的自我が形成されていない歴史で、近代的な自我が入ってきたのは、西洋化が始まった明治以降になる。
戦後は敗戦により意図的に日本の道徳観や協調性のある自己形成が否定され、
近代的な仕組みとともに近代的自我を形成させられた。
戦争を知らない団塊の世代までは戦前生まれの両親に育てられているので、日本的文化の香りがするが、団塊ジュニアになったら、全く近代的な自我形成が8割ぐらいに育っている。

今こそ、三方よしの商道の時代が来ている。経済が拝金主義化をせず、「売り手よし、買い手よし、世間よし」この実践を出来るかが問われているし、求められている。
戦後の経営者の代表は松下幸之助さんであり、稲盛和夫さんだ。

みなさんは経営とはお金儲けと思われますか?

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