利己心では人は動かない、感動も与えられない。

投稿日:2016年2月9日 更新日:

京セラの稲盛和夫さんは「利他行をやること」と断言される。
その理由に「自然界での競争は決して他者の足を引っ張るものでなく、
ひたすら自分が必死に、そしてひたむきに生きようとした結果で優勝劣敗が決まり、
負けたものは衰退するか、新たな生き方に向けて進化を果たすものである。」

先ず大事なことは、自分の人生を駆け引きや、
他人を罵倒したり、陥れたりして自分に利益誘導する利己的な生き方でなく、
自らのいのちを100%使って、ひたむきに生きるフェアプレイの精神が重要だ。

昨今の企業経営でコンプライアンスが叫ばれるのも、
「企業」が社会の中で如何に役に立つ行動ができていて、
尚且つ、フェアプレイ精神で役立つ技術やサービス・商品を生み出す努力がされているか問われてる。

その結果、素晴らしい企業に負けることもあれば、
優秀な企業を真似て、さらに進化させることもできる。(努力次第だ)

人間は環境によっても変化するが、自分の中にある良心を目覚めさせ、
必死に生きる努力がなければ自然界や社会に適応できない。

稲盛さんは「人間の遺伝子は利己心だ」とおっしゃられる。
私たちは自分を守るために衣服を着、食べ物を食べエネルギーを作り、
自然や他の動植物から身を守るべく住居に構え安全を確保する。

すべては利己心発想である。

一般には自分が充分衣食住に満たされて後に、
他人や社会や自然に役に立つことをすると考えがちだ。

しかし、それではダメだ。
人間の欲望は限りがないので、
そんな考えでは一生、他人や社会や自然に役立つ行動はできない。

仏教では「自利利他」と同時進行で一如だと教える。
親が子を育てるとき、自己犠牲がなければ子供は育たない。
将に親の利他行で子供は育つのである。

直接、親でなくても誰かの世話にならない限り子供は育たない。
言い換えると自分を守るために自我を形成し利己心が身につくが、
利他行を一番にして二番を利己心にしない限りフェアプレイの精神で行動できない。

われわれがスポーツを愛するのは、
このフェアプレイ精神のひたむきな努力をたたえるからだ。
素晴らしい成績を残した清原が利己心に負けて法律を犯したのは残念だが、人間の弱さでもある。
他人事と思うのでなく、自分にひたむきな努力を忘れないで利他行をすることを誓う。

皆さんは利他行一番にされてますか?

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