「社会変革」と「自己変革」について

投稿日:2020年10月20日 更新日:

いまや科学は宇宙へ行ける能力を持つにいたって、宇宙の空間で宇宙のステーションを創り人間が生活している。

マルクスは何のために学び「資本論」を書いたかという問いに、「人間の解放」と言っている。
それには二つあって、「社会の変革」であり、もう一つは「自己変革」だ。

欧米人は自己をしっかり持って、自分が生きるために原始共産社会から奴隷制社会、さらに封建社会、絶対王政、民主主義社会へ発展させてきた。
技術の進歩によって、手工業を機械工場による分業体制を作り富(商品)を増やした。

現代の科学は原子力発電や原子爆弾という武器まで創り出している。
もちろん医学的に大変重要な技術も生み出している。たくさんの命を救ってることは確かだが、毒ガスや細菌兵器も生み出している。

人間は地球の自然環境の中で住まなければならないが、行き過ぎた科学の応用には自然破壊が止まらないのも事実だ。

技術が進歩することと同時に私たち人間の内なる価値観を本当に磨く時期でもある。
「人間の命は何よりも重い」「個人を尊重しろ」「弱者を救済しろ」「誰にも人権がある」と声高で叫ばれる。
法や規則という制度だけで解決するかと言えば、ある一定のことはできても根本的には解決しない。狭い意味の個人主義者となり、利己主義者ばかりになると考えられる。自己の生の肯定者だ。

マルクスの言う「自己変革」とは社会に奉仕することが一番で結果自分の欲望を果たすことを言う社会主義的ヒューマニズムの教えがある。
「自己変革」について資本論のように詳しく書かれていないのが残念だ。
欧米人は自己を捨てるといった概念より、周りの環境を創る事で解決して自己の主体は変えないというのが基本だ。
しかしキリスト教の世界観の中の道徳観は無意識の中で醸成されている。
アメリカのトランプの強引なまでの自己アピールと自己肯定理論が強きリーダーで、弱みを見せない生き方へと今は変貌してる。
道徳観とか品性がないように感じられる。

日本の文化は違う。サルトルが来日して感動したのは「歌舞伎」でもなく「能」を見た時だと書かれているのは山田無門さんだ。
その意味するところは、能面を被り演ずる役者は丸で演じている能面の役に乗り移ったように自己がない舞をする。(無我)
これが禅の影響だというのである。禅では「自他不二」といって、自分と他人を分別して二元論的にはしない。
「私とあなた」でなく、「あなたの私」となるのである。
言い換えると「衆生本来仏なり」と坐禅和讃(白隠)にあるように、自分の中にある「仏」を努力によって引き出すという自己変革だ。
禅では「父母未生以前の本来の面目」と言って、分別する前の自分とは何かという問いだ。
「善悪無記」の状態の自己は無我だ。

欧米だったら、きっと現実逃避の虚無主義ということになるが、観念を排除して行動に徹する最も現実的で「冷暖を自ら知れ」が答えである。

自己変革とはその場によって自分の態度を変える技術論でなく、純粋な生まれた赤子のような真摯な心を保つ努力がいるということだ。

皆さんは自分の内面と向き合って、真摯な自己変革していますか?

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