大阪石材社長ブログ

「いい塩梅」の文化

投稿日:2021年5月16日 更新日:

梅を塩で漬けると梅酢ができる。食酢がない時代にはこれを使っていた。
塩と梅酢の加減が丁度良いことを「いい塩梅」と言う。
物事の状態の良い加減や、体の具合や健康状態が良いことを意味したりもする。

今の世界の潮流はヨーロッパの遊牧民のアングロ・サクソン人が築いた文化であるので、白黒はっきりする二元論的なモノの見方が強く、現実的で具体的なことを好み、科学的に証明される唯物論の理性が機械文明を築き、合理的に生産力を向上させた。
1750年代の産業革命において、機械による工業化が実現し飛躍的に生産力が高まった。
しかしその反面、人間労働の機械化が進み、働き甲斐や達成感のような精神的なことは阻害されたことも事実だ。

1850年代にマルクスが出てきて、労働が富を生んでいると主張し、「都市労働者(プロレタリアート)よ、団結しろ」と唱え、資本主義社会が高度に発展すると社会主義化すること、さらに私有財産を排除し共産にすればより豊かに暮らせると考えた。
その実験がレーニンによってソ連でなされたのである。
そして、未来の社会を夢見て国家建設が始まった時から、東西冷戦によってアメリカとソ連が鉄のカーテンで仕切られることになった。
しかし、1991年にソ連は崩壊し、ヨーロッパに近い国は社会主義から資本主義へ独立をしていくのである。
資本主義が正しいと驕っている間に、中国が発展してGDPが世界2位になった。
ヨーロッパでは福祉国家の方向を目指す連合を作って発展していこうとするが、イギリスの脱退などで停滞している。
また、元アメリカ大統領のトランプの時代にNATOの脱退示唆で混乱が生じたが、バイデン大統領は西側諸国結束を呼び掛けているのが現状だ。

いま世界が問われているのは、科学的な理性主義ではなく、人間らしく他を愛する理性主義(あえて唯心論という)を求めている。
小田切先生によると唯物的科学を収斂理性(虫眼鏡)と言い、愛ある唯心論的なものを発散理性(電熱器)と名付けられている。

日本人は諸外国から見ると曖昧ではっきり自分の姿勢を表現しないで対立を避けているように考えられている。
政治の世界でも二大政党制が良いと考えられ、議論して政権が新陳代謝するには選挙で交代することがより良いと考えられてるがいかがでしょう。

そもそも論を言うと人間はもともと西田幾多郎さんの言うように「絶対矛盾の自己同一」の存在である。
これを肯定すれば極端に右とか左というように偏ることの方がおかしくて、右と左のバランスが取れている「いい塩梅」と調和が答えになるように考えるのが日本流だ。
だからハイブリッドだし、答えの調和は周りの環境条件によっても違うし、具体的な要素を限らない限り正解の調和とは言えないので、塩と梅酢がいい塩梅と表現することこそ誠実な答えなのである。
ただ、唯物論と唯心論のどちらを優先するかというと、新しいものを産むときには唯心論を一番にしてハイブリッドにする方が現実的であり、未来を切り開く勇気も出てくることは確かだ。
どちらかというと「心即理」の陽明学的な「唯心論」は日本の根底の文化である。
簡単に言うと、利己心で戦い合うより利他心の愛で調和することを望むのが日本流だ。

日本は工業化社会では良い車や家電製品を世界中に出し貢献したが、これからはアニメだとか任天堂のドラゴンクエストなどのゲームソフトと同時に「いい塩梅」の文化を世界中に広める使命があると確信する。

皆さんは日本の「いい塩梅」の文化、如何に思いますか?

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