大阪石材社長ブログ

「想い」と「欲望」について

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人間は自分で物を考えているように思っていますが、「自分の想い」には他者が浸透している。
言語は他者から口伝えで学んでいるのが事実で、「自分の欲望」と言っても他者から与えられたもので、純粋な「自分の欲望」は幻想に過ぎない。

だからこそ、現代の若者は自分も個人もあまり信じておらず、リアルな現実で剥き出しの「欲望」をエンジンにして、我武者羅に行動して「想い」を達成し自己実現しようという行動はしない。
現実のリアルな世界では他社との関係性では対立や衝突も起こるが、具体的な体験が少ないため、自分の存在を裸にしなくていいスマホ、SNSを使ってのコミュニケーションを好む。
言い換えると、それこそバーチャル(幻想)のコミニュケーショの世界だ。
演劇や絵画、音楽、言語を通じてしか自己表現することができない疑似体験者で疑似実存になる恐れがある。

逆に「自分の想い」に他者が入っているなら、自分の存在の充実と同時に他者との関係を充実したい願いはある。
ここを引き出して行けば、若者がリアルとバーチャルを大いに活用する人間に育つことは間違いない。
それには、「自己を捨てる」と言う手段がいる。
スマホなら初期設定をやり直すと今までのアプリや交友関係もリセットし入れ替えられる。
みんながお寺に通うのはこの初期設定をやり直すためである。
重い言葉で言うと「出家」ですね。

1995年にWindows95が発売されてネットの世界ができ、今から十数年前にスマホの世界ができ、
社会の情報機器が飛躍的に変化している昨今、新しいコミュニケーションでリアルとバーチャルを巧みに使う自己形成が要望されている。
ビジネスの社会ではドラッカーは「知識労働者」と定義している。
1971年以降アメリカの新自由主義を唱えたフリードマンは株主資本主義を標榜したが、富の格差が大きくなり、今はSDGsと言って自然と共生する持続可能な開発に取り組んでいる。
あるいは、企業のステイクホルダーみんなに富を分配する理念を標榜するような社会にドラスティックに変化している。

そんな中で昭和の価値観から飛躍し、平成、令和の価値観へ自分を再構築する必要がある。
過去の先輩たちが時代を切り開いたように、若者はきっと素晴らしく新しい価値観を身につけ、社会を大きく発展、進化させてくれること間違いないと確信する。
仏教的に表現すると「想い」はまさに「自利利他」なんですね。
時代とともに変化する主体なんですよ。
だから社会の動きをよく見て、初期設定にする勇気と行動力で若者が明日を拓いていく。

皆さんは自分を初期設定していますか?

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