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東西の自己肯定観に学ぶ

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倫理資本主義こそ、これからの社会の哲学だというのはドイツの哲学者マルクス・ガブリエルだ。
彼は「新実在論」を標榜している。
さらに付け加えると、現実の社会を発展させるのは、科学でもなく経済でもなく哲学だという。
そして、ドイツ人はエゴが基本にある観念論であり、日本人は仏教の影響を受けているためエゴを小さくして社会が成り立っていて争いを避ける特徴がある。
東京圏には3700万人が共存しているが、ドイツなら喧嘩が始まっているだろうと言う。
しかし、日本人もいったん争いになれば妥協するということなく、徹底的に人格を全否定し死ぬ覚悟で抹殺しようとするところがある。(怖い観念)
ドイツ人は違う。
お互い怒鳴り合って議論するが人格までは否定しないでアウフヘーベン(止揚)させる。
もちろん、議論する場を設定することが大事だとも言う。

仏教では自己肯定論には二つあると諭す。
1.自尊心=他人の評価によって持つプライドである。
2.自慈心=自分のありのままを100%受け入れる。あえて弱みも自己肯定する。

西洋で言うエロス(奪う愛)=利己心、アガペ(与える愛)=利他心の二元論的な価値観で、エゴを基礎にしているが自律した人間の定義は自慈心ではない。
自慈心で肯定する「ありのままの自分(無我)」は体験を通じて変化する自分でもある(無常)。
お釈迦さんが6年間の修行を経て、菩提樹の下で瞑想し身体を厭われていた時に、スジャーターから山羊の乳粥をもらう自分への慈しみだ。
(当時は女性からものをもらうことは卑しいこととされていたが、その戒を破り自分の身体をねぎらう)
自尊心でなく自慈心へ自分を「無我」にして、自己肯定する次元の高い自己肯定観だ。

マルクス・ガブリエルの言う科学でもなく経済でもなく哲学、則ち文化の違うドイツ人、中国人や日本人が、共通する倫理観を共有する哲学が調和した未来の世界の姿になるというのである。
このスタンスで事物を見るというのは社会をより良くしようと人間を環境から変えていく方法でなく、自分の観念の側から学びと体験によって深められ、より客観的になり、心の芯にある良心の判断基準を共有することを示唆して自己を磨くことと感じる。

皆さんの自己肯定観は自尊心ですか、自慈心ですか?

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