大阪石材は「幸福創造カンパニー」が理念の根本です。
仕事は石屋です。
目指しているのは全て自前でやる昔の石屋さんになることです。
出来たら山から採石することもやりたいと思っています。
いま日本の墓石材の丁場は年々閉山せざるを得ない状況です。
昭和50年代から墓石需要が高まり、国産材だけでは需要が満たせなくなり、お隣の韓国からの調達を始め、さらに平成に入った頃には中国、アメリカ、ヨーロッパと外国の石種が拡大していきました。
各産地も原石では単価が安いので加工品へシフトすることになり、経済のデフレ状態も続き輸入材に頼らざるを得ない業界となったのが現実です。
ところが、近年は少子高齢化で墓石需要も縮小し、将来参り手がいなくことを見越しての墓じまいも増えています。
何としても採石を復活させたいところだ。
さて、幸福の定義として物心両面の豊かさを実現することだ。
「物」の豊かさは目に見えて分かることで、例えば車はどこへでも速く遠くへ運んでくれるし、レンジがあれば簡単に温めることが出来て食事を作る時間の短縮にもなる。
このように利便性や生活を快適にすることが出来る道具がいっぱいある時代となった。
一方、「心」の豊かさとは「幸福と感じる心」を自分の身体の中に育てることだ。
物が欲しかったらお金がいるように、心が欲しかったら自分の中に幸福を感じる種を植え、大事に水をやり雑草を抜き肥料をやって育てるのだ。
私たちはこの目に見えない幸福を感じる心、気づく心をついつい忘れて、勝手にできるように思い込んでいるんですね。
例えば、あいさつをきっちりするとか、靴を揃えるといった礼儀正しさや、仲間や両親に対して感謝するという心は元々持っているものではありません。
家族や社会の中で、自分で礼儀正しい心を創り育ててるんですね。(自立心)
そこで、我が社では判断の基準として
1.もったいない精神(モノを大切にする)
2.三方良し(判断の基準)
3.利他行する(役に立つこと一番にする)私欲は二番
このように行動することを全社的に推進しています。
だから、仕事は「お墓を売る」ことではなく「生きる喜びを売る」ことなんですね。
お墓は日本に仏教や儒教が入ってくる前から先祖がやってきたことです。
「死」を迎えられた人を「葬儀式」で送り出し、念を入れて「告別式」で縁のある人を招いて、ありし日の思い出話などをして、故人が生きていた時の活躍をみんなで思い出す。
現代は墓埋法というのがあって、どこにでも骨を埋めてはいけないとなっていて、墓地が一般的ですが、今は納骨堂(建物)に預ける人もいます。
ほかにも樹木葬や、永代墓、合祀墓、散骨、宇宙葬などもあります。
祀り方は時代とともに変化してきているのも事実です。
しかし墓の前で思い出すのはありし日の善き思い出であるのは今も昔も同じに違いない。
もし、亡くなられた方が声を出せるなら、
「一生懸命誰にも負けないように世の中の人の為になって生きる喜びを味わって、何でも味わえる『生きた時間』を使い、自分の心で身体全身で喜びを噛みしめて欲しい」と言うだろう。
私たちの五感は外向きに情報を集めています。
だから今の自分を見つめる方向を自分で産み出さないと自分が解らないのですね。
「お墓」は死を見つめることと、亡くなった方への感謝に止まらず、「自分で生きた喜びのある時間を使っていますか?」とメッセージをくれる大切な表象だ。
我々の仕事は「お墓を売るのでなく、生きる喜びを売る」大切な心を育てる仕事だ。
みなさんはお墓はモノと考えられますか?