中国で最も古い書物が易経だ。
われわれはこの易経を自分の意志とは関係なく、
単に占いに身を任せる事と勘違いしてる。
元来易経は「時」のことを64に分けて、
人生で出くわす困難や苦しいときに、
どうすれば上手く生きぬけるか書かれている解決書である。
時とは「春夏秋冬」を軸に考えられている。
春に種を植え、夏に勢いよく成長する(このとき大事なのは雑草も伸びるから除去する)
秋に実りを得る。冬が一番大事で、この時期は土を肥やし耕すのである。
この自然(宇宙)の法則通りに生きれば、
万事災難からの解決方法が理解できるというのである。
これを「時中」という。
だから、時流(流行)を知る事は大事だが、時流に流されるなと諭す。
易経は三つの言葉が柱となった書物である。
1.変易(すべてのものは変化する。仏教で言う諸行無常だ)
2.不易(変化には一定の法則がある。宇宙の法則こそ不変、言い換えると春夏秋冬)
3.簡易(この、1・2番の法則がわかれば困難解決は簡単だというのである)
時中とは解決策である。(的中ともいって、的を射た解決策をたとえ話で語っている)
さて、人間の一生も変化の過程なのだという大きな視点で見れば、
青春期は春でいろんな体験をして学ぶ、その学んだものを生かして成長する。
このときが一番大事で、雑草(欲望・利己心)も成長する。ここで雑草を採って、
本当に実らせたい種を伸ばす。そして40代から50代は世の中で活躍する。
晩年は土を耕すように、後継者を育成するのである。
常岡一郎宮大工の棟梁は「心の雑草」という一文を書かれているので紹介する。
「人の心には雑草が生えやすい。心の雑草は茂りやすい。
良いものが枯らされてしまう。心に雑草が生えないために、
善根がひろがるために、われわれは油断なき修行がいる。
反省がいる。
良い友がいる。
よい研究会、座談会、講演会がいる。」
皆さんは心の雑草どうして採られていますか?