天の意志と人間の意志

投稿日:2019年11月26日 更新日:

人間の意志は何かを成し遂げようとする欲望のことだ。
この意志を貫くには天の意志をありのまま(如実)に理解する必要がある。

禅語に「好雪片片 不落別処」というのがある。
読み=こうせつへんべんとしてべっしょにおちず。
意味=雪がひらひら落ちているが、その雪はたまたまでなく、
   ただ落ちるべきところに落ちる。
 
私たちが喜ぼうが悲しもうが、ただ起きることが起きている。
これをありのまま(如実)というのである。
私たちから見て偶発的なことも、宇宙的秩序から見たら起こるべくして起こっている。
現実を100%受け入れることが天の意志を受け止めることだ。

一方、私たちには、作り出したい現実や変えていきたい現実があり、欲望もあるのが普通だ。
この人間的な欲望が悪いのではありません。
もし人間から欲望を無くしてしまったら、すべてが停滞して展開しません。
何が悪いか、である。
欲望に「執着」することですね。
自分勝手な「利己的欲望」に支配されることなんですね。

ここに「苦しみ」が生まれるのである。
苦から解放されたいなら、因果の法則に従って「善因善果」の行動することだ。
それには自分の心を浄化し高める日々の行動がいる。

私のような凡人は善悪、損得、好き嫌いという分別をして、
自分本位に考え苦しみ悩みを作って生きていることに気づかないのだ。

これを解決するには、仏教で二つのことを気をつけろと諭す。
1、分別知を否定し無分別知になれ、主観的な思い込み観念から離れよ。
  事実をありのままに(如実)見ろ。
2、心は温度や物理的な差によって、
 苦しくなったり楽しくなったり感情(錯覚)を興してることに気づけという。
(一時的なこと)例えば山を登ると足がつらく苦しい、
平地を歩く足が軽くなって楽になるという感情がわく。

さて、天の意志を100%受け入れ自分にとっての都合の良いこと悪いことを分別しなければ、
人間の意志は貫け、現実に対処する知恵が湧いて道が開けるというのである。

事実は天の意志、これからのことは自分の意志、
自由意志で何とでも可能性を開けることができる。
天人合一することにより、現実をさらにより良くする方向に想像することができる。

皆さんは欲望を因果の法則にしたがってエンジンとして使われてますか?

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