LINEやFacebook、インスタグラム、YouTubeなどの無料の情報発信を手軽に使える。
投稿は法的規制のない個人が好き勝手にやるのが原則だが、SNSの事業者はあまりに教育に良くないとか、詐欺的な掲載は排除してるが、現実は雨後の筍のように、あの手この手で潜り抜け投稿している。
SNS事業者は広告収入で事業が成り立っている。
事業者の要求はクリック数と滞在時間を要求する理由は、広告費が如何に万人に衆知させるかで支払われるからだ。
事業者はSNSのアルゴリズムを変えながら優先順位をAIによってコントロールすることはしているが、これだけでは、フェイク情報や詐欺情報を削除しても追っかけっこの様相がある。
もう一つ重要なことは、現実のマスメディアの対応が課題だ。
かつてはラジオやテレビという規制があり公共性を優先した検閲があった。しかし、SNSの時代になって、フェイクニュースを暴き、中立で公平な報道ができていないという事だ。
昭和世代の公共性はNHKテレビで、平成生まれの人たちの情報はすでにYouTubeが主流になり、好きな情報に偏った情報の中で自らの価値観を形成していると感じる。
それが個人の尊重された価値と考える傾向がある。
日本という社会のあるべき価値、世界という社会のあるべき価値の中で各国の生活スタイルがあり、各国の文化が育まれてきた。
ところがITの普及による情報化社会は人間の記憶力をはるかに超えた膨大な情報を持ったAIに収斂する。
資本主義が資本を中心に金融資本主義へと収斂したように、情報化社会はAIという知識の集積に収斂されコントロールされている。
その方向には2つあると考える。
1.一つは人間の大脳辺縁系(情動)を刺激するオオカミのようにより強い刺激を与え動物化する方向。
2.もう一つは良心に基づき、周りの人に役立つ利他的行動ができる人間に導き互いを尊敬し助け合い調和する次元の高い方向だ。
最近アメリカではSNSの規制法ができ青少年は見てはいけないというような事態にもなっている。
人間を素晴らしく成長、進化させるような道具にするのも人間の使命であると感じるのは私だけだろうか?
皆さんはSNSの在り方を発信側も受信側も、どのように考えられますか?

「SNSは人間をどう導くか」の思う
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