世界の西側諸国は、アメリカの成長主義の自由と民主主義という旗印にリードされている。
勿論、それに異論を唱えるのは私有財産を否定した社会主義国の中国やソビエト連邦崩壊後のロシアだ。
マスコミは両国を評して権威主義・専制主義国家と言っている。刻々と現実が変わる状況で、マスコミ報道では、アメリカの世界を引っ張る力が落ちたとか、中国のGDPが数年後にはアメリカを抜いて世界トップになり、世界の支配を強め、東南アジアをはじめアフリカ・南米の国々を経済支援を通じて仲間に引き入れていると言った論調だ。
この前提は資本主義が高度に発展する(資本の定義=自己増殖機能)と、創造の社会主義が前提の議論だ。(マルクスは私有財産制が資本家同士の競争を激化し労働を搾取するから社会主義)
日本でもマルクスの「資本論」を読んで、社会主義に憧れソビエトを美化し、労働運動が盛んに行われた時期があった。
ところが、1989年にベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一、1991年にはソ連が崩壊した。アメリカ筆頭の西側諸国の自由民主主義が勝利し冷戦は終わった。
これは事実だが、晩年のマルクスはロシアの共同体の研究を始めていて、もし唯物史観が続くなら、先進国のように近代化に遅れた人や地域を植民地化することになることを恐れ、20世紀に入ってマルクスは「ヨーロッパ中心主義の思想家」を繰り返し批判していた。
それがロシアの共同体という脱成長型の共同体の研究をして、平等(土地共同所有)で作物を人数分、分かち合う仕組みに驚いた。(詳しくは後日書くことにする)言い換えると、パリ・コンミューンのような市民が自主的に運営する自立した共同体だ。
前回のブログで「資本主義には『契約関係』と『信任関係』がある」と書いたが、この信任関係には忠実義務があって法的にも縛りがある。
永遠に自己増殖する資本主義の延長線上で考えると2つの疑問が出てくる。
1.自然を破壊し尽くして人間が生きられないようになるのではないか
2.このまま発展して技術革新をしていけば人間が道具に使われて倒れてしまう可能性があるのではないか
現実は二元論の世界で裏と表がある。
アクセルとブレーキをうまく使いこなさないと車は目的地に着かない。
では、そのプロセスは成長をし続けるプロセスか、逆に成長はしないが生活ができ、なお人間の個性の違いも受け入れ、なお発展の段階や文化の違いをも容認できる世界観が望ましい。
生き甲斐を持って働くには自分で考え自分で行動する「全体的に発達した個人」で協調性と共同作業ができる人物の育成がいる。
そのためには自らの能力と人間力の両方を磨き全体を俯瞰し、自らも共同体の一員として役割を果たす同志であることだ。
みなさんは社会主義でなく非資本主義的発想いかが思いますか?